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エジプト女性82%がセクハラ、60%がDV被害

国連では11月25日を「女性に対する暴力撤廃国際日」に定めており、昨日はカイロでもその趣旨に賛同する会合などが開催されていました。

そこで女性のための国民議会議長が明らかにしたのは、エジプト人女性の60%が、暴言、殴打、教育を受けることの禁止といった様々なかたちの家庭内暴力をうけており、88%が割礼手術を受けており、38%が早婚を強制されている、という調査結果です。

女性に対する割礼の割合は、法的罰則が定められてから一度減少したのですが、今回また増加したそうです。

この調査は、エジプト国中のおよそ1万3千500人の未婚および既婚女性に対して行われたものだそうで、こうした暴力の背景にある原因の第一は、女性の能力を低く見て女性の権利を規制することを当たり前だと考える習慣や伝統であり、第二は男性(父親や夫)の悪い気質(?!)にある、とのことです。

またこの調査によると、82%のエジプト女性が街中や公共交通機関内で言葉による、あるいは肉体的なセクハラの被害にあったことがあり、95%が社会的暴力にあったことがあるとのこと。そして91%の女性が、女性がどのような服装をしているかはこうした暴力とは関係がない、と回答しています。

大まかな実情を把握しているつもりでいても、こうして改めて数値を突きつけられると、大変な憤りを感じます。

エジプト国民は9割くらいがイスラム教徒で、イスラム教徒の女性のほとんどはヒジャーブかニカーブをかぶっているのですが、それでもこの数値です。ヒジャーブやニカーブは、女性の尊厳を守る為のものだとされているはずなのに、全然その機能果たしてないじゃん・・・。

はぁ・・・本当に、つくづく残念な状況です・・・。
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エジプトのスーフィーと聖者廟破壊

エジプトでまた、聖者廟が破壊されたようです。今回は、ミニヤー県にあるディヤーナトゥルワクフديانة الوقفという村のシャイフ・バッカールの廟ضريح الشيخ بكارです。

いわゆる「アラブの春」のおこった国々では、サラフィーたちが力を誇示するかのようにあちこちの聖者廟を破壊しまくっているのですが、エジプトもまた例外ではありません。

ここでいう聖者というのは、イスラム世界の聖者のことで、もともと預言者ムハンマドの血筋を引いていたり、学識が高かったり、敬虔であったり・・・で知られる人が、死後(まれに生前のこともありますが)、神との仲介役を果たしてくれる聖者として、人々の信仰を集めるようになった、そういう人のことを言います。わかりやすい現象としては、その人のお墓(廟ですね)にお参りして、「病気が治りますように」とか、「試験に受かりますように」と祈願するとか、そういったものがあります。

カイロでも大人気の廟のひとつはサイイダ・ザイナブ廟です。女性用と男性用の参詣場所が分かれていて、私は女性用の方しか行かれないのですが、そこは常にザイナブさんに祈願をする女性達で大入り満員状態で、祈り終わったら早く出て行け、と催促されるほどです。

サイイダ・ザイナブというのは、預言者ムハンマドの娘ファーティマと娘婿にして従弟であるアリーの娘(つまりムハンマドの孫)で、ハサンやフサインの妹なのですが、フサインとともにカルバラーの戦いに巻き込まれてしばらくダマスカスに幽閉され、解放された後、メディナで没したとする説と、カイロで没したとする説があるらしく、カイロの廟は後者の説を裏打ちするもののようです。

まあ、つまりサイイダ・ザイナブというのは、預言者ムハンマドに極めて近い女性として、聖者としての人気を博しているわけです。

サイイダ・ザイナブは写真を撮れない雰囲気なので、あまり人気のない聖者廟の写真をかわりに掲載しておきます。

これはシャーフィイー廟です。

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シャーフィイーというのは四大法学派のひとつシャーフィイー派の名祖であり、イスラム法源論の原則を提唱した超重要法学者です。

それでも、私が行ったときには人が全然いなかったので、聖者としては全然人気がなさそうなのですが、近づいてみると、こんなものが見えます。

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これは、参詣者が隙間から入れこんだ紙の数々で、この紙に、「良縁にめぐまれますように」とか、「お母さんの病気が治りますように」とか、祈願の内容が書いてある訳です。

長々と説明しましたが、一神教のイスラムにも、聖者崇拝という伝統は存在していて、それは議論の末に、一応一神教とは矛盾しないとされてきたのですが、サラフィーたちにとってこれは許されざる多神崇拝の罪の象徴に他なりません。

それでチュニジア、リビア、エジプトのサラフィーたちは、せっせとこうした廟を破壊してまわっているのです。そういえば、世界遺産にもなっていたマリのトンブクトゥーの廟が破壊されたことは、大きなニュースになっていたように記憶しています。

エジプトのファトワー発行館(いろんな問題に対するイスラム法的解釈を発行するところ)は、たとえば今年の8月にリビアのズリテンにあるアブドゥッサラーム・アルアスマル師とアフマド・ザッルーク師の廟が破壊されたとき、「こういう廟を破壊する者は、地獄の犬どもだ!!」というファトワーを発行しましたが、サラフィーたちはこんなファトワーなんぞどこふく風〜です。

イスラムにも信仰をめぐっていろいろな考え方があるのですが、廟を毛嫌いするのがサラフィーなら、廟を非常に大切にするのがスーフィーです。エジプトにスーフィーがどれくらいいるのか、よくわからないのですが、選挙の票読みをする際には、だいたいエジプトの国民の1割はスーフィーだから、この人たちはサラフィー政党には入れないよねーなんて言われていました。

今回のシャイフ・バッカール廟の破壊をめぐっては、リファーイー教団団長のターリク・アッリファーイー師طارق الرفاعىが次のように述べています。

「こうした廟の破壊の責任は全部、カンディール内閣にある。我々は早急に廟の再建を行うため、ミニヤー県知事と治安当局の仲介を要請する。サイード(上エジプト)で多発しているこうした廟の破壊は、スーフィーたちの怒りを増幅させ、新たな革命をも引き起こしかねない。」

また、シャブラーウィー教団のアブドゥルハーリク・アッシャブラーウィー師 الشيخ عبدالخالق الشبراوىも、こうした廟の破壊は治安当局の怠慢にあるとし、明日予定されているムルスィーの新憲法宣言撤回を求めるデモにスーフィーたちが参加する旨を明らかにしています。

スーフィーは目立った政治活動をしていないのでサラフィーのように注目されることはありませんが、エジプトには軽視できないくらいの数のスーフィーが確かに存在しています。

いろんな考え方があって、イスラムだよね、という、そういったかたちのイスラム信仰であってほしい・・・と異教徒の私はついつい願ってしまいます。

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イスラミック・カイロ案内(2)

イスラミック・カイロ案内(1)に続いて、(2)です。

アクマル・モスクの少し先の右側には、スハイミー邸があります。

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オスマン朝時代の1648年に建設された豪商の邸宅です。見学には確か50ポンドくらいかかります。

もともとは別の人の家だったものを、スハイミーさんが買い取って内装を充実させたそうです。内部は広くて、迷路のような感じです。見取り図もおいてあるのですが、見学するには全く役に立ちません・・・。部屋はこんな感じです。

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(1)で紹介したザイナブ・ハートゥーンの家もそうなのですが、こうしたいわゆるアラブの中庭式邸宅は、モロッコの旧市街などに行くと普通に人が住んでいる状態でたくさん存在しているのですが、エジプトに関してはこうして史跡として保存されている建物の他には、もう存在していないようです。

スハイミー邸の正面には、スレイマン・アガーのサビールがあります。ここも見学するには10ポンドかかります。ここもまあ、ただのサビールといってしまえばそれで終わりなのですが、地下の貯水槽を見ることが出来るので、一応一見の価値はあります。

これが外観。

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これが貯水槽。

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貯水槽には水汲み人がせっせと水を運んできていたようなのですが、当時は現在ブールサイード通りになっているところが運河になっていたので、ムイッズ通りから水を汲みに行くのはそんなに大変ではなかったようです。

サビールをでて直進すると、右側にハーキム・モスクがあります。

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変人として知られるかの有名なファーティマ朝カリフのハーキムの名のついたモスクで、スンナ派王朝時代は捕虜を閉じ込めておく牢屋なんかに使われていたそうですが、1980年にインドに本拠地のあるイスマーイール派の団体がお金をぼーんと出してゴージャスに修復した結果、今のような感じになったようです。

ハーキムといえば、アリーの宿敵ムアーウィヤがモロヘイヤ好きだったので、エジ人にモロヘイヤを食べることを禁じたとか、女性が外出できなくなるように女性用の靴を売ることを禁じたとか、ユダヤ人やキリスト教徒をかなり差別したとか、突然犬を殺し始めたとか、突然猫を殺し始めたとか、とにかく奇行で知られています。

私は修士論文までは異教徒に対するイスラム法の適用について研究していたのですが、そうするとこのハーキムという人は結構重要な人物なわけで、どうして重要かというと、イスラム法上の異教徒に対する規定をきっちり適用した為政者というのは実は結構少なくって、みんな案外適当だった訳ですが、その稀な例の一人がこのハーキムなわけです。彼はユダヤ教徒とキリスト教徒からきっちりジズヤ(人頭税)を徴収し、ウマル憲章にあるとおりの服装の区別(ギヤール)を徹底させるため、ズンナールというベルトをさせ、頭には黒いターバンをまかせ、片足には赤、もう片足には黒の靴を履かせ、キリスト教徒には鉄の十字架をぶらさげさせ・・・といったあれこれを強制したとされています。

ハーキム・モスクも無料で見学できます。

ハーキム・モスクのすぐ先がフトゥーフ門で、ここがムイッズ通りの終点です。フトゥーフ門を出て右側いき、ファーティマ朝の城壁沿いに進むと、今度はナスル門があります。この城壁の外側はフセイニーヤといわれる地区で、かつては墓地であり、現在も墓地が多くのこっています。イブン・ハルドゥーンもこのどこかにうめられているらしいです。

ナスル門からまた城壁の中に入って、アズハルの方に戻ることもできますが、この道は現在下水道工事真っ最中なので、あまりおすすめできません。

それよりは、ここから車でイスラミック・カイロの第二の見所である、サラーフッディーンの城塞に行くのがよいと思われます。

この城塞は、入るのに50ポンドかかりますが、プレスカードがあると無料です。こことかピラミッドは、プレスカードがあると無料なのに、なぜかスハイミー邸は半額だったり、サビールは定額だったり、いったいどういう制度になっているのか、未だに全然わかりません。。。

城塞の中には、カラーウーンの息子のナーセル・ムハンマドのモスクがあります。

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エジプト人たちが楽しそうに写真を撮っています。彼らはキブラやミンバルの前で写真を撮るのが好きです。

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サラディンの城塞で一番の見所は、ムハンマド・アリーモスクです。

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現在修理中のこの時計台についている時計は、オベリスクと引き換え(?)にフランスから送られたものだとか?

ここは、エジプトのモスクの中では、かなり荘厳な方です。トルコのブルーモスクやアヤソフィアなんかを知らない人がみたら、そこそこ感動できる・・・かもしれません。

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この城塞の中には、戦争博物館というのがあって、ここが結構面白いです。というか、中には私も入ったことがないのですが、外だけでも楽しいです。

とりあえず、いろんな乗り物がおいてあります。

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なんか、えっらいちゃっちいのですが、エジプト人達はみんな大喜びで写真とか撮っています。

ものすごくおおざっぱな感じの、「いろんな時代のエジプト軍」の紹介もあります。

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とにかくさ、エジ軍はいつの時代も強かったんだよね!!と言いたい感じが、ひしひしと伝わってきます。

あと、いろんな時代のエジプトの英雄の胸像が飾られているのですが、サラディンがいたり・・・

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バイバルスがいたり・・・

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サラディンとかバイバルスって、こういう顔だったんだ?!と初めて知ったのでした・・・(笑)

今回、改めてイスラミック・カイロの史跡を訪れてみて思ったのは、

(1)やっぱり、エジプト、汚いなあ・・・
(2)やっぱりエジプトの史跡、地味だなあ・・・

ということです。歴史が好きな人なら結構楽しいと思うのですが、普通の人が来て「わーーーっ!!」と感動するほど美しいものなんかは、たぶん皆無です・・・。

当たり前のように、どこもかしこもゴミだらけですし・・・。

やっぱりカイロ観光は、ピラミッドに始まり、ツタンカーメン黄金マスクに終わるに限るんですかね・・・。

ムルスィー大統領、「全権掌握っ!!」とか喜んで浮かれてないで、早く本当の意味での「善行」、してくれないかなあ・・・。

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エジプト大統領の三権独占

先週の木曜日(11月22日)、エジプト大統領のムルスィーは、「大事な発表をする」と前うちしておいて、実際にひじょーーーーーーーに大事な発表をしました。

彼が行ったのは「新憲法宣言」で、これは何かというと、実質的には現行の憲法の修正を宣言するもので、乱暴な言い方をすれば部分的に新しい憲法の起草をしたようなものです。エジプトでは去年の革命以来、既存の憲法を「憲法宣言」のかたちで次々に修正して使う、というその場しのぎ的状況が続いています。

今回、彼が「つくった」憲法の条項のうち、私が特に気になるのは次の点です。

【第2条】共和国大統領による憲法宣言、および彼の行った立法および決定は、新憲法が制定され、新たな人民議会が選出されるまでは、最終的な決定とされ、それに対するどのような抗議・不服の申立ても認められない。またこの決定に反対したり、その執行を妨げたり、それを無効にすることも、許されない。

これはつまり、「大統領の決定は無条件的に絶対」だという規定です。

エジプトの立法権は、もともと議会がもっていたのですが、

議会解散→軍部が立法権掌握→大統領の憲法宣言(8月12日)によって大統領が立法権掌握

という流れで、現状ではムルスィーが持っていました。まあ、この8月段階で、ムルスィーは立法権と行政権を独占したわけで、この時点で、あーーーーー、また独裁化がはじまったなー、と思ったのですが、今回の憲法宣言はこの独裁の総仕上げのようなものです。「どのような抗議も」というのは、実質的には司法を指しており、司法は大統領決定に抗議できないと定めた、ということは、つまり司法権もムルスィーが握ることになった、ということを意味します。

民主主義の原則→三権分立
エジプトの現状→大統領による三権独占

これはひじょーーーーーーーにヤバい状況で、例えばムルスィーが、「はい、じゃあ今日からシャリーア適用ね」といって既存の成文法を全て破棄してしまうことも可能なわけです。そうしたら、まあ、私なんかは啓典の民ですらないので、殺されるか、追放されるか、よくてマーリク派やハナフィー派的解釈で啓典の民に準ずると認められて人頭税を払ってエジプトにいさせていただくか・・・という感じ?

「今日からオレがカリフね」、も可能です。あ〜それはないか。今日からムハンマド・バディーウ(同胞団のムルシド)がカリフね、ならありうるなあ・・・。

もっと卑近な例をあげれば、「はい、じゃあ今日からお酒売るの禁止ね」といってカイロから酒を一掃してしまうことも可能ですし、「今日から水着で泳ぐとか、禁止ね」といってビーチを閉鎖してしまうことも可能です。

しかも、誰一人、司法ですら、この決定に抗議することはできないのです。

完全なる独裁者・・・です。

しかもこの決定は、ムルスィー曰く、「エジプトの政治的、経済的状況を安定させ、革命の目的を達成するために必要な決定」だ、とのこと。大統領選挙のときもそうでしたが、同胞団は何かというと「革命の護持者」を自任するのですが、まあ、こういっておけば大概の反論は煙にまけるだろう、という判断がみえみえで、イラっとします。

もちろんこの憲法宣言にはエジプトの政治勢力はこぞって反対しており、(なつかしの)革命青年たちもでばってきて、デモや座り込みなどを行い、衝突も発生しています。

それに加えて、さらにこのムルスィーの「完全性」にケチをつけているのが、サラフィー勢力です。例えば、ダアワ・サラフィーヤの報道官であるアブドゥルムヌイム・アッシャハート師は、こんなふうに言っています。

「我々は憲法宣言の第2条に反対する。なぜならイスラムでは無謬な人間は使徒たちをおいて他にいないとされており、ということは、どんな人間であれ、その人の下した決定に誰一人、どんな方面からも抗議が許されないなどということはあってはならないことで、この決定は神の法に反しているからだ。」

彼らからみると、この憲法宣言は「ムルスィー=無謬」宣言、とうつるようで、この点がどうしても納得いかないようです。

またジハード系サラフィー主義者のリーダーの一人、ハーゼム・アルマスリー師は、エジプト各地で大統領の憲法宣言に反対するデモが発生したり、大統領の属する自由公正党の建物が放火されたりしているのは、「自由公正党の人々と大統領が神の法に反しているからだ」なんて言ったりしています。彼らにとっては、この憲法宣言が神の法に反しているだけでなく、ムルスィーが展開しているシナイ半島でのジハード主義者狩りも神の法に反しているとみえるようです。

更に、今回の憲法宣言は、

【第5条】司法はシューラー議会や憲法起草委員会を解散させることはできない

とも規定しており、このまま現状の憲法委員会の作った憲法が、(一応国民投票にかけられて・・・)エジプトの新憲法になりそうな感じでもあります。

エジプトの独立系各紙は連日、この憲法宣言に対する批判記事を掲載していて、例えば今日のワタン紙には、ムルスィーとムバラクを比較して、ムルスィーの方がよっぽど独裁者で専制者だと酷評しています。

昨日、エジプトの裁判官たちが会見を開き、この憲法宣言は承服しかねるとして裁判活動を停止すると発表しました。裁判停止は明後日27日からで、多方面にストライキを呼びかけてもいます。また27日には、同胞団もムルスィーの決定を支持するデモを予定しています。

他方、これまでの世論調査ではムルスィーの支持率は結構高く、エジプトの人々は一般に「強い大統領」を求める傾向にあるので、案外この憲法宣言は歓迎されてるかもな、なんて思ったりもします。もちろん、政治意識の高い都会の人たちは大反対するでしょうが、エジプトには「三権分立」なんて概念について考えたりしない、素朴な生活を送っている人々がその何百倍?何千倍?もいるのが現状なので。

しばらくは状況を注視していようと思います。

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イスラミック・カイロ案内(1)

最近、いわゆるイスラミックカイロを散策する機会が二度あったので、見所をまとめておこうと思います。

カイロはファーティマ朝によってつくられた街なのですが、同朝がモスクと宮殿を建設したエリア一帯が街の中心地として栄えました。このエリアと、アイユーブ朝のサラーフッディーンが城塞を築いた高台のエリアをまとめて、ガイドブックなどはイスラミック・カイロと呼んでいるようです。

まあ平たくいえば、中世から近世にかけてのイスラム諸王朝時代の建築物が残っている史跡エリア、というわけです。

大概の場合は、まずアズハル・モスクを見学します。こちらは、無料で見学できますが、女性は髪を何かで覆っておく必要があります。また、靴をおじさんにあずけて見学するので、おじさんに多少のチップをあげたほうがよいです。私は、こういうところでケチるべきではないという主義なので・・・。

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アズハル・モスクはファーティマ朝期の971年に建設されたモスクなので、もともとイスマーイール派のモスクだったわけですが、後のスンナ派王朝もここを大切に保護、その後アズハルのマドラサはスンナ派の学問の中心地として発達しました。アズハルは1960年代からは国立の学術機関になっています。ここの総長はスンナ派の最高権威、という説明をしているのを時々見ますが、まあ、そう思っている人もいますが、別にみんながそう思っているわけではありません。

アズハル・モスクの外にでて、裏側に回ると、バドルッディーン・アルアイニーというハナフィー派の学者の名のついたマドラサがあります。

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アイニーは15世紀前半に、ブルジーマムルークのスルタンであるバルクークやバイバルスにつかえた学者です。先輩がアイニーの研究をしていたので、名前だけはなじみ深いです。

ここも無料で入れます。管理をしているおじさんが外でふらふらしているので、許可をもらってみせてもらうことができます。ここにはアイニーのお墓も併設されているのですが、なぜかその右隣にもう一つ墓があって、そちらは、イブン・ハジャル・アルアスカラーニーの墓だとのことです。彼はシーア派の著名な法学者で、1448年だか49年だかに亡くなっているので、確かに同時代人ではあるのですが、なんか不思議です。

その向かい側には、ザイナブ・ハートゥーンの自宅というのがあります。ここは見学するのに15ポンドかかります。1484年に建設されたそうで、中庭のあるいわゆるアラブの邸宅です。

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上にのぼると、アイニーとアスカラーニーの墓のクッバ(ドーム)がみえます。

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また、勉強しているアズハル学生の姿を見ることも出来ます。

ザイナブさんの家からアズハルにもどって、少し西に進むと、左側にグーリーの隊商宿とマドラサがあります。グーリーはブルジーマムルークの最後のほうのスルタンです。

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一応立派な史跡のはずなのですが、下のほうはこんなことになっちゃってます・・・。残念・・・。

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今度はアズハル通りをわたって、ムイッズ通りを北に進みます。左側にアシュラフ・バルスバイのマドラサがあり、右側にはバイバルスの名のついたマドラサが一部残っています。

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次に右側にあらわれるのが、ホスローパシャのサビール&クッターブです。

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サビールというのは水飲み場、クッターブというのはコーランを教える学校で、今で言うと小学校のようなものです。

その正面にあるのが、カラーウーンの廟、モスク、病院などの複合施設です。こちらが外観。

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ここは有料で、ここで100ポンド出して共通チケットというのを買うと、バルクーク・モスクやハンマームなどにも入ることが出来ます。

こちらが廟。なかなか荘厳。

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こちらが病院跡。この建物の左隣は現在も眼科の病院があって、歴史を感じさせます。

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こちらがモスク。

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カラーウーン・コンプレックスの隣には、バルクークのモスクとマドラサがあります。

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その隣には、ブルジーマムルークのスルタンであるイーナールの名のついたハンマームがあります。

その少し先に道が2つに分かれている場所があり、その間にカトフダーのサビール&クッターブがあります。

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このクッターブは孤児のためのものだったようです。今はここはお土産やさんのようになっているので、店番のおじさんに言えば、上にのぼることができます。上からムイッズ通りをながめると、こんな感じです。

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サビール&クッターブの左側の道に進むと、今度は右側にアクマル・モスクが現れます。

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こちらは、カイロに残っている唯一のファーティマ朝期のモスクだそうで、小さいですがなかなかよいところです。ここも現役のモスクなので、おじさんに許可をとれば無料で見学できます。

ミンバルちっちゃい?!

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イスラミック・カイロ案内(2)へ続く

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ガザ攻撃で得をしたのは?

昨夜、エジプトのアムル外相によって、イスラエルとハマスの停戦が成立したことが発表されました。

しかし停戦が発行する(カイロ時間)昨夜9時直前まで、イスラエルとハマスの双方は攻撃を続け、結局ガザ側に146人、イスラエル側に5人の犠牲者が出ました。戦争で兵士が亡くなるのはまだしも、双方とも市民に犠牲がでているのがいたたまれません。

2008年から2009年にかけてのガザ攻撃のときもそうだったのですが、終わってみると、イスラエル政府もハマスも、そして今回はエジプト政府までもが、ガザ攻撃で得をしたような感じになっているのが気になります。

得をした、というのは、国民の心をつかみ、支持をとりつけるのに成功した、という意味です。

昨夜の会見で、エジプト外相は、「今回の停戦に向けた我々(エジプト)の努力は偉大なものだ」とか自画自賛していましたし、ハマスは祝砲をばんばんあげて「俺たちはシオニストに勝利した!!」とか大喜びですし、イスラエルのバラク国防相も「ハマスに打撃を与えるという我々の目的は達せられた」、としたり顔。

イスラエルは来年1月22日に総選挙をひかえていますが、ネタニヤフ首相の率いる与党リクードの勝利は確実とみられています。リクードは右派であり、左派の労働党と並ぶイスラエルの二大政党ですが、これまでは選挙で双方が勝ったり負けたりを繰り返してきました。イスラエルというのは、極左から極右まで多種多様なイデオロギーをもつ人々が存在する国であり、必ずしも全国民が「パレスチナをぶっつぶせ!」と大合唱するような国ではないからです。

ところが2009年以降状況が変わってきたように思います。前回も今回も、ガザ攻撃はイスラエルの総選挙前に行われました。そして実際に、今回のガザ攻撃に対するイスラエル人の支持率は相当高いものとなっています。イスラエル人であるならば、右派であっても、そうではなくても、こうしたことがあった後、自国を攻撃してくる敵ハマスに一矢報い、更に敵の攻撃からほぼ完璧に国民を守ることに成功したネタニヤフ政権への支持をあらたにするのは、当然のことのように思います。

というか、イスラエルはそれを見越してガザ攻撃をしたとしか思えないふしがあります。ネタニヤフは、ガザ攻撃が票集めのための手っ取り早くて手堅い手段だと、気づいてしまったのだと思います。

イスラエルは、カッサーム旅団のジャアバリーの狙い撃ちに成功したときには、「我々はこのようにテロリストだけを攻撃しているのです」と得意顔でしたが、結局ガザでも女性や子どもに多くの犠牲が出ました。それでも彼らのロジックでは、

ガザの女性→テロリストを生み増やす存在→殺してもいい
ガザの子ども→将来のテロリスト→殺してもいい

となっているのでしょう。許せん!人の命をなんだと思ってるんだ!(いや、政治の道具だと思っているんでしょうが・・・。)

またハマスはハマスで、これまた得をしているのです。今回ハマスの発射したロケット砲は、85%は迎撃されたとされていますが、それでもイスラエル南部都市だけではなくテルアビブにまで空襲警報が鳴り響く状況を生み出したのは確かです。ガザ市民の中には、憎き敵「シオニスト」たちが、警報を聞いて逃げ惑う姿を見て多いに満足し、「やっぱりハマスってすごい」と支持を新たにした人が少なくないといいます。

更に今回は、エジプト政府までもが得をしています。ムルスィーは攻撃が始まるといち早くカンディール首相を団長とする使節団をガザに派遣し、「俺たち、ガザの味方だから」とアピール、そしてアメリカに「停戦仲介できるのはエジプトのムルスィーだけ」とかいわれて大いに張り切り、昨日はその成果を自画自賛。なんかウハウハしている様子が目に見えて、しゃくにさわります。

今回のことで改めてわかったのは、ガザが存在し、パレスチナ問題が未解決のまま存在する方が、中東問題の各プレーヤー全員にとって好都合なのだ、ということです。そこにおいて戦争は、政治の道具であり、茶番にしかすぎません。

というか、戦争というのは、今も昔も、そうした性質を持っているのだと思います。

とはいえ、私などにパレスチナ問題をどうすればよいかなどという妙案があるわけもありません。

ただただ、戦争は嫌だ・・・、殺し合いは嫌だ・・・とおろおろするばかりです・・・。

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カラダーウィーと「イスラム法の目的」

先日カラダーウィーがアズハル・モスクで説法を行ったという記事を書きましたが、今日またカラダーウィー関連で私個人として非常に注目すべき新聞記事を見つけてしまいました。

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アハラームの記事なのですが、内容はだいたい以下のような感じです。

「カイロにあるイスラム最高議会を訪問したカラダーウィー師は、ワクフ省に属するイマームや説教師たちと会談し、比較衡量すなわち利益と害(マスラハとマフサダالمصالح و المفاسد)のバランスに立脚した法学、および人々の現実と要請に立脚した法学を考慮し、また中道的で中庸な解釈を行うべき旨を要請した。この種の会談は、当局がカラダーウィー師にエジプトにおけるフトゥバを禁じて以来、初めて実現されたものである。この場でカラダーウィー師は、エジプトのイマームや説教師やモスクの説法を行う人々に向け、イスラム法の普遍的な目的に立脚した法学فقه المقاصد الكليةについて理解し、適用する必要性についても訴えた。イスラム法の普遍的目的とは、イマーム・アルガザーリーامام الغزاليが指摘した概念であり、彼は宗教、生命、子孫、理性、財産を保全することがその目的であると論じている。ワクフ省の公式報道官であるサラーマ・アブドゥルカウィー師は、カラダーウィー師のイスラム最高議会訪問は、イスラム宣教の役割が新たな段階に入ったことのあらわれであると述べた。またイスラム最高議会の事務局長であるサラーフ・スルターン氏は、カラダーウィー師はこの時代最高の学識者であり、共同体の法学者であり、その高貴なる声でアラブの諸革命を動かした世界的重要人物である、と述べた。」

私は記事を読んだだけで、実際にはどんなものいいだったかはわからないのですが、彼の趣旨を(私が勝手にわかりやすく)代弁してみると、次のようになります。

「イスラムは大事だよ、もちろん。でもねえ、極端な解釈はいけない。今の人々には今の人々なりの現実があり、問題がある。それらを無視して、昔ながらのイスラム法をやみくもに適用するのは、そもそものイスラム法の目的に反するのだよ。ガザーリーが言っているように、神は、人間の宗教、生命、子孫、理性、財産を保全することを目的として、人間にイスラム法をさずけてくださったのだから、それらがそこなわれてしまっては本末転倒というものだ。法を適用する際には、適用した場合に想定される利益と害をきちんと考慮し、利益が得られる場合にはその法を適用すべきだが、そうでない場合には適用を回避すべきなのだ。」

おそらく、いや、まちがいなく、これはサラフィー勢力に対する牽制のメッセージなのだと思います。

マスラハとマフサダの比較衡量、あるいは利益衡量に立脚した法学の必要性を主張しているのはもちろん、カラダーウィーだけではありませんが、この考え方が現代のイスラム世界に広く流布する上で彼の果たした役割は、小さくはないと言えます。

私はこのマスラハ理論をずっと研究しつづけ、これで博士論文を書きました。これって、昔も今も、イスラムが現実と折り合いをつけていきながら繁栄するためにすっごく重要な理論じゃない?!と自信を持って研究してきたのですが、日本では全然誰にも理解されず・・・。

エジプトにいて毎日10紙くらい現地新聞を読んでいると、マスラハ理論とかガザーリーとかが登場する、この種の超マニアックな記事が時々あって、個人的に非常に盛り上がれるのが嬉しいところです。この喜びを共有できる人はいませんが・・・。

それにしてもワクフ省、気味が悪いほどのカラダーウィーのもちあげっぷりには、あっぱれ、としか言いようがありません(苦笑)。

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エジプトの銀行

エジプトの銀行は、非常に不便かつ不親切かつ感じが悪いです。

銀行に限らず、エジプトにあるものはほとんどが不便ですが、不便に加えて不親切で、なおかつ感じが悪いのは、銀行と役所くらいだと思います。

今日は朝いちで銀行にお金をおろしに行ったのですが、2時間待たされました・・・。

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いつまで待ってもちっとも順番が回ってこないので、窓口の人に「何かあったの?」と聞くと、「システムがダウンしてるんです」と言うので、「じゃあ、あとでもう一回来た方がいいかしら?」と言うと、「いやいや、あと5分でなおるから大丈夫」とのこと。

それで、2時間待ち・・・です(汗)。

エジプトの銀行は、こんなふうに結構しばしばシステムがダウンしたとかなんとかいって、業務が停止してしまいます。そしてこれまたエジプト人の癖で、すぐになんでも「5分ですむから大丈夫」とか言うのですが、実際にはその数倍〜数十倍の時間がかかります。

なぜお金を引き出すだけのために窓口に行っているかというと、私たちは銀行のキャッシュカードを持っていないからです。一応ATMというシステムは存在しているので、キャッシュカードを作ればATMからお金を引き出すことができるのですが、ここはエジプトなので引き落とせるのはエジプトポンドだけですし、またこのカードを作るためにはエジポン立ての口座を作らねばなりません。

エジポン信用できない→エジポン立ての口座作りたくない→キャッシュカード作れない→いちいち窓口に行ってお金をおろす必要がある

という流れです。また同じ流れで、エジポン立てのクレジットカードも作っていないので、私たちは基本的に全て現金払いで生活しています。この間ロンドンに行った際も、もちろんドルをポンドに両替して現金主義を貫徹したわけですが、買い物をするのに50ポンド紙幣を出したら、お店の人が「50ポンド紙幣なんて久しぶりにみましたー。私たち、買い物は殆どカードなので、現金って使わないんですよ」なんて言われ、当惑したことも・・・。

私たちはエジプトではドル立ての口座を持って、ドルの取引だけをしているのですが、これまた不便なことに、エジプトの銀行では一日に1万ドルまでしか引き下ろしができません。会社で急に多額のお金が必要になることもしばしばありますし、そんなわけで、銀行にはどうしてもしょっちゅういかないといけない状況にあります。

そして一番嫌なのは、この銀行に「いじめ要員」が数人いて、その人たちが私のことをむっちゃいじめる、という点です。

どうやっていじめるかというと、お金を引き下ろすときに用紙にあれこれ記入して、パスポートを添えて提出するのですが、私の書いたサインと銀行に登録されているサインが違うとか、私の名前とパスポートにある名前が違うとか、その手のいちゃもんをつけてくるわけです。

サインは漢字で登録しているのですが、両方のサインを見比べて、ここがくっついてないとか、この角度が違うとか、ものすっごーく細かいところが異なっているのでサインとして受容できないとケチをつけてきます。

最初の数回は、まあ、じっとこらえたのですが、さすがに毎回のようにいじめられると、お恥ずかしい話ですが、私もキレるようになってしまいました・・・。

「っていうか、あんたら、漢字理解できないでしょー?!これ同じだから(怒)!!ここが違うとかいっているけど、そんじゃあ真似して書いてみ?!できないでしょ???っていうか、私いっつもここの銀行に来てお金おろしてるよねえ?!なんで毎回、おんなじケチつけるわけ?!私のこと、泥棒だとか思ってるわけ(激怒)?!泥棒が毎回、こうやって堂々とお金おろしに来てるわけ?!」

・・・とまあ、こんな感じです。いちいち疑われて、いちいち時間かかって、もう本当に何度銀行を変えようと思ったことか・・・。でも他の人に聞くと、他の銀行も似たり寄ったりらしいので、がまんして同じ銀行を使い続けています。

いじめ要員でない銀行員はふつうに優しい(?)のですが、優しい銀行員はいつも私に投資をすすめてきます。

「エジプトの将来のために、投資しませんか?あなたの利益にもなりますよ。」

なんて言ってくるのですが・・・ごめんなさい、できません(汗)。

お金をおろして、外で待っていたドライバーに、「ごめーん。システムがダウンしたとかいって、5分でなおるって言ったのに、全然おわらなくって〜」と言ったら、「エジプトの5分は1時間だからね、はははっ」とか言われ、ちーん・・・。

わかってはいても、やっぱり日本的時間感覚からぬけきることのできない私です・・・。

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ドリーム・チャンネル閉鎖危機と報道の自由

先日ここにも書いたドリーム・チャンネルが、こんなことになってしまっています。

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どうやら先週の金曜日(11月16日)から、こんな状態になってしまったようです。この画面に記されているのは、

「ドリーム・チャンネルは、ヒジャーム・カンディール政権より下された決定により、番組の放送ができなくなっていることをお知らせします。我々は合法的に放送を行ってきましたが、にもかかわらず、政府から下された決定はスタジオからの番組の放送を禁じました。これは自由、特に報道の自由を規制しようとする計画の一環だと思われます。」

といった内容です。

ドリーム・チャンネルは1979年にライセンスを取得し、ナイルサット経由で放送を行ってきました。ドリーム1とドリーム2があり、現在は両方ともこんなことになっています。情報省の説明では、ドリームは放送権の契約が終了した後、更新しないまま放送を続けてきたので、これは違法行為である、とのことですが、ドリーム側はそんなことはないと主張しています。

ドリームはエジプトではかなり人気のあるテレビ局なので、日本で言えば、例えばフジテレビ(笑)やテレ朝が急にお上によって放送禁止になった、というような感じであり、非常に奇妙な現象です・・・とはいえ、エジプトではこうしたことが、まあ、ふつうに発生します。

2011年の革命でムバラク政権が倒れた後、エジプトは「民主化」したことになっていますが、現状はそれほど美しいものではありません。それを象徴するもののひとつが「報道の自由」をめぐる問題です。

たとえば同胞団が主導する現政府は、今年の8月にアハラームالاهرامやアフバールالاخبارといった政府系新聞の編集長を突然一挙に全員交代させ、それ以降、これらの新聞から政府批判の記事は全くなくなってしまいました。エジプトの法律では、シューラー議会が政府系新聞の編集長を任命する権利を有することになっており、同胞団がシューラー議会で第一党である現在、同胞団は合法的に編集長変更という事案を実行することができるのです。

アハラームなどの政府系新聞は、(当然のことながら)ムバラク時代には完全にムバラクの利益にかなった報道しかしませんでしたが、革命後編集長を変更し、当局に対する批判的な記事も掲載するようになりました。例えばアハラームは、ムルスィー大統領が就任してから、彼が就任後100日で成し遂げると約束していた様々な問題の解決について、カウントダウン形式で毎日報道していました。今日は就任から3日目、あと97日で交通渋滞の問題やゴミ問題をどう解決していくのか、といった感じです。ところが編集長が変わった次の日から、このカウントダウン記事はなくなってしまいました。

またこれと時を同じくして、激しく同胞団批判を行ってきたドストール紙الدستورの編集長アフィーフィー・イスラーム・アフィーフィー氏が逮捕され、同紙が没収されたり、ファラーイーン・チャンネルのオーナーであるタウフィーク・エルオカーシャ氏がアンカーをつとめる番組でムルスィー殺害を呼びかけた罪で逮捕され、同チャンネルが放送禁止処分を受けたりもしました。

昨日、ドリームの放送禁止に抗議する目的で、独立系報道関係者たちが共同記者会見を開きました。同胞団が何かを同胞団の支配下におくことを、今年の新語で「アフワナالاخونة」というのですが、彼らは「報道のアフワナ(イフワーン化)」に対しては全面的に戦っていくという姿勢を見せています。

この会見において、ドリーム・チャンネルの責任者であるアフマド・バフガトاحمد بهجتは、「これはドリーム・チャンネルに対するムスリム同胞団の復讐である」と述べています。彼曰く、ドリームの女性アンカーであるギーハーン・マンスールجيهان منصورが、担当する朝の番組内で同胞団の政党「自由公正党」のイサーム・エルアリヤーンعصام العريانに対して批判的発言をしたことが、放送禁止の直接の原因だとのこと。ギーハーンさんは、同胞団に批判的発言をすることで知られている人です。バフガト氏は、ドリームの他にもアッタハリールやファラーイーンといった各チャンネル、また独立系新聞は、政府や同胞団批判を続けているとドリーム同様放送禁止や発禁処分をうけることになるだろう、と警告しています。

それでも同胞団の圧力には屈しないとするバフガト氏は現在、エジプト国外からドリームを放送することを検討しているそうです。そうすることによって、エジプト政府からの圧力をうけない状態で放送を行い、報道の自由を守りたいという意向のようです。

民主主義とは何かという問題は、私がここで軽々に論じられるような簡単な問題ではないことは言うまでもありませんが、その根幹には報道の自由があるという点では、概ね一致しているのではないかと思います。当局に対する批判的発言が許されない国家を、民主的であると形容することはないのではないでしょうか。

その意味ではエジプトは未だに、全然民主的国家ではないのだと思います。

同胞団批判をする政府系新聞があるならば編集長を変えてしまえ!、それが独立紙であるなら没収してしまえ!、独立系放送局であるなら放送ライセンスをとりあげてしまえ!という今のやり方が、エジプトの将来にとってよいものといえるのかどうかは言うまでもない・・・ように思うのですが。

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カラダーウィーのアズハル凱旋と対イスラエル・ジハード

11月16日(金)に、ユースフ・アルカラダーウィー師الشيخ يوسف القرضاويが初めてアズハル・モスクで金曜礼拝の説法(フトゥバخطبة)を行いました。

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カラダーウィーは1926年9月9日生まれ、御年86歳のエジプト人スンナ派法学者です。国際ウラマー連盟会長という立派な肩書きを持ち、アラビア語衛星チャンネルのアルジャジーラで「シャリーアと人生」という宗教番組のアンカーをつとめていることでも知られています。この番組の視聴者は、一説によると6千万人くらいいるとされており、それゆえ、彼の発言はスンナ派イスラム世界においては他の追随を許さないほど影響力があると言われています。でも彼はご高齢でもあり、各国を遊説することもしばしばあるので、ここ数年は彼ではない人が番組に出演することが多く、彼の長年のファンのひとりである私は、ちょっとつまんないなーと思ったりすることもあります。

もともとアズハル大学の出身ですが、大学時代からバンナー思想に心酔してムスリム同胞団に参加していたため、1949年に政治犯として投獄、その後更に3回投獄され、60年代からはカタールに活動の拠点を移していました。

つまりカラダーウィーという人は長らく、エジプト政府からすると「お尋ね者」だったわけです。

それが抜本的に変わった契機は、2011年1月の革命でした。彼が2月18日にタハリール広場で行ったフトゥバは、実に30年ぶりに祖国エジプトで行ったフトゥバだったのですが、この内容はエジプト革命がイラン革命のような「イスラム革命」ではなく「民主主義革命」であることの象徴として、各方面から絶賛されました。つまりカラダーウィーは、「この革命はイスラムによってもたらされた」的な発言を一切せず、「ムスリムもコプト教徒も、エジプト国民がひとつになってなしとげた偉業だ」と述べたわけです。

また今回彼が「凱旋」したアズハルというのは、エジプト政府の監督下にある(イスラム)教育機関です。そこに附属するアズハル・モスクがカラダーウィーを招待し、彼がそこでフトゥバを行ったというのは、過去にさんざん彼を投獄してきたエジプト政府の体制が抜本的に変わったことの何よりの証です。何しろ今や、これまで弾圧され続けてきたムスリム同胞団が与党となり(まあ、議会は解散されちゃいましたが・・・)、大統領を輩出する時代になったのですから。

カラダーウィーはアズハルでのフトゥバにおいて、先の「アラブの春」は「民衆の自由と民主主義に対する権利が、不正に勝利したことの証」であるとし、また14日から続いているイスラエルによるガザ攻撃については、「アラブ・イスラーム共同体が言葉をひとつにし、手に手をとりあえば、我らが敵イスラエルに勝利することができる!!」と述べました。

またこの前日(15日)にイスラム教徒たちはヒジュラ暦の新年をむかえたわけですが、カラダーウィーは礼拝参加者たちにたいして、「我々は新年をむかえるにあたって、神への信仰をあらたにしなけらばならない。神よ、不正者たちに対してムスリムを勝利させたまえ!イスラエルに対して我々を勝利させたまえ!シリアにおける不正者たちに対して我々を勝利させたまえ!」などと呼びかけ、アズハルに集まっていた人々はかなり盛り上がっていました。

カラダーウィーは自分の思想を中道・中庸派だと位置づけており、例えば「同性愛者は死刑にすべし」など日本人からみると過激な発言も多々あるのですが、イスラム教徒の中では彼の思想はやはり「中庸」なのだと感じさせられることが多々あります。16日の金曜礼拝でも、彼は人々に「神よムスリムを勝利させたまえ!」とよびかけたわけですが、タハリール広場で行われた金曜礼拝では、マズハル・シャーヒーン師الشيخ مظهر شاهينはムルスィー大統領に対して、「侵略者であるシオニストたちから聖地を解放するために、今こそジハードを!」と呼びかけ、更に「若者たちに対する戦闘訓練を開始すべき」とも要請していました。

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ミニヤー県でもラガブ・ハサン師الشيخ رجب حسنがムルスィーにジハードの開戦を迫り、ルクソールではアラーウ・ミフターフ師الشيخ علاء مفتاحが、「ガザをエジプトに統合することがカリフ国家再建への第一歩」だと述べたそうです。

各地のフトゥバを聞いていると、カラダーウィー発言がいかに中庸か、ということをしみじみ感じてしまいます。

そして同胞団員であるムルスィー大統領が、パレスチナ問題やシャリーア適用の問題をいったいどうしていくのか、決定的な選択をしなければならない日がいつかやってくるに違いない、とまたまた思ってしまうのでした。


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エジプトに冬到来

ついに、エジプトに冬がやってきました!

・・・とはいっても、日中はまだ全然半袖生活でOKなのですが、とにもかくにも、私的には冬がきた!のです。

カイロに一年住んでみてわかったのは、カイロには「四季」はなくて、おそらく夏と冬の「二季」しかないのだ、ということ。私の感覚としては、

4月〜10月 夏
11月〜3月 冬

という感じです。独断と偏見にみちた区分ですが、この区分の基準はまずは次の一点によっています。

夏:泳げる
冬:泳げない

4月に入ると、カイロはもう結構暑くなります。今年は4月初頭にアインソフナに行った時、既に海でもプールでもふつうに泳げました。それからはとにかく毎日暑くて、暑さは7月と8月にマックスを迎えて毎日40度を超すようになり、10月になるとほんの少し涼しくなり、11月になると日中でも海で泳ぐというのは厳しくなります。

10月末にシャルムに行ったのですが、日中なら海で泳げるのですが、おそらくこの時期が泳げる最後だろうなあという感じでした。シャルムはカイロよりずっと南に位置しているので、カイロは10月末でも海はちょっと厳しいかもしれません。

11月になると、曇り空の日がでてきたり、スコールのような降雨があったりします。これも冬到来のひとつの目印。

また11月になると、八百屋さんからオクラと長ネギが姿を消し、インゲン、グリーンピース、ラディッシュ、グリーンオニオンなんかが出てきます。また果物屋さんからはスイカ、マンゴー、メロン、ブドウなどがなくなり、柿や蜜柑などが登場してきます。これらの変化を目にすると、やっぱり冬がきたなーという感じがしてきます。

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この写真はホテルのビュッフェのフルーツコーナーですが、右奥が柿、その隣が蜜柑、手前がナツメヤシです。この柿、口に入れた瞬間は甘みが広がるのですが、幸せなのはその一瞬だけで、その後強烈な渋みが襲ってきます・・・(汗)。蜜柑も、この時期はまだ結構すっぱいです。このナツメヤシの実も、かな〜り渋いです。いろいろと残念な感じです・・・。


魚屋さんは夏の時期はもう最悪で、並べられているのはブリ(ボラのこと)とブルティー(ティラピアのこと)ばかりになってしまいます。10月になるとちょっとよさげな鯛や舌平目が並ぶようになり、ハタや鰆やタコなんかもでてきます。

いろいろ難点はあるものの、まちがいなく、冬の時期の方がカイロの食材は充実しています。

今は11月の半ば。朝晩がひんやりするようになってきたので、昼間はちょっと暑いのですが、長袖の服を着るようになりました。夏の間ずっと、タンクトップと短パン生活を送っていると、さすがに長袖が着たくなってきます。

そして明日11月15日は、ヒジュラ暦の新年。明日からヒジュラ暦では1434年になります。ヒジュラ暦は西暦622年を元年とする暦で、この年にイスラム教の預言者ムハンマドがメッカからメディナにヒジュラ(聖遷)したことを記念しています。

というわけで、

كل سنة و انتم طيبين

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シャリーア適用をめぐる見解の相違

この土日、カイロでは「イスラム政治諸派と権威への挑戦」と銘打った国際会議が開催されました。



主催者は「中道派フォーラム」というのを主宰しているムンタスィル・アッザイヤートمنتصر الزيات‏という弁護士で、エジプト、ヨルダン、チュニジア、モロッコからいわゆる中道派イスラム主義者とサラフィー(サラフ主義者)たちが出席しました。

シャリーアの適用をめぐる議論が繰り広げられたのですが、見解の相違は(予想通り)非常に大きいものだったようです。ムスリム同胞団に代表される中道派の人々は、「シャリーアの即時適用は時期尚早である」と主張しているのに対し、サラフィーたちは「即時シャリーアの完全適用が必須である」と譲りません。

出席した中道派の代表としては、チュニジアの与党であるナフダ党の副党首アブドゥルファッターフ・ムールー師عبدالفتاح موروがおり、彼はムルガーン師が「ピラミッドとスフィンクスを破壊せよ」と呼びかけて騒動になった例のテレビ番組に、一緒に出演していた人でもあります。その時ムールー師は、「信仰の対象になっている偶像は確かに破壊せねばならないが、そうでない偶像を破壊する必要はない。その証拠に、イスラム初期に各地を制圧した教友たちは、その土地で崇拝されている偶像は破壊したが、そうでないものはそのままにしておいたではないか」とムルガーン師に反論しました。

中道派の人々は、アラブ諸国の社会は現状ではシャリーアの即時完全適用を受け入れる準備ができていない、としています。ムールー師はサラフィー主義者たちに対し、「イスラム主義者たちは、シャリーア適用を受け入れる準備のない他の諸派とも共生していく必要がある。これは『害の排除درء المفاسد』のために、イスラム法上必要不可欠とされることである」と述べました。

うーん。マスラハとマフサダ論、やっぱりいっつもでてくるなぁという感じです。イスラム主義者が現代でいろいろと妥協してイスラム法の適用を考えざるをえない状況にいる中、マスラハとマフサダの理論は状況を説明する上で絶対に欠くことのできない要素です。特にいわゆる中道派の人々は、好んでこの理論を採用する傾向にあります。

またこの会議には、ムスリム同胞団設立者のハサン・アルバンナーの娘であるイスティシュハード・ハサン・アルバンナーさんも出席していたそうで、彼女はイスラムにおける女性について、「イスラムは女性に完全な権利を与えています。にもかかわらず、残念なことに、イスラムの名のもとに、女性がこの権利を行使することを認めようとしない人々が存在しているのです」などと主張したそうです。

彼女の主張に反論したのは(当然)サラフィーたちで、その代表としてヌール党のユーヌス・マフユーンيونس مخيونがあげられています。彼は、「イスラムのシャリーアは女性の権利を制限しているのであり、女性はそれを遵守しなければならない」と述べています。

シャリーアを即時完全適用するか否か、なんて、それ自体が雲をつかむような議論であり、どちらに意見が集約されたところで具体的にどうなるという話でもないのですが、重要なのは、イスラム主義者たちはこのレベルで既に見解が分かれているのだ、という点です。

現時点でシャリーアを即時完全適用するのが無理だと考えているイスラム主義者(主に中道派)と、無理とかそういうのをすっとばしてとにかく即時完全適用しなきゃいけないとやみくもに主張するイスラム主義者(主にサラフィー)がいる、という、その事実をおさえておくだけでも、現在のイスラム主義のあり方を理解する一助になるのではないかと思います。

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ピラミッドとスフィンクスを破壊せよ

ムルガーン・サーリム・エルゴハリー師الشيخ مرجان سالم الجوهريは一昨日(11月10日)、テレビ番組に出演し、「ピラミッドとスフィンクスをはじめとする、エジプトにあるあらゆる偶像を破壊しなければならない」と述べました。



ドリームという衛星チャンネルで夜10時から放送している「夜10時」(そのまんまですけど・・・)という番組内でのことです。「夜10時」はもともと、モナ・エッシャーズリーという女性がアンカーをしていたエジプトの大人気番組だったのですが、モナがmbcというチャンネルに引き抜かれ、今はワーイル・エルイブラーシーというおじさんがアンカーをつとめています。

つまりムルガーン師は、エジプトでそこそこ視聴率の高い番組に出演して、ピラミッドを破壊せよ!と呼びかけた、というわけです。

ムルガーン師というのは、いわゆるジハード系サラフィー主義者で、エジプトのメディアではジハード系サラフィー主義السلفية الجهاديةのリーダー格のひとりとしてとりあげられることの多い人です。かつてインタビューをしたことがあるのですが、かなり・・・な人です。

ちなみに、彼の名前のمرجانというのは、正則アラビア語で読むと「マルジャーン」なのですが、エジプトではこれを「ムルガーン」と読みます。全然関係ありませんが、私がよく買って食べる金目鯛も同じく、「ムルガーン」という名前です・・・。

彼曰く、「ムスリムは神の法の教えを適用する義務を負っているのであり、その教えには偶像を破壊すべきだとある。だからこそ我々は、アフガニスタンで仏陀像を破壊したのだ」、とのこと。彼はもちろん、アフガニスタンでのジハードを経験しているわけですが、彼の発言を文字通りにうけとれば、彼も2001年のバーミヤンの仏像爆破に加担した、ということなのでしょうか?

司会のイブラーシー氏が「もしあなたたちが政権をとったなら、スフィンクスやピラミッドやあらゆる偶像を破壊するのですか?」とたずねたのに対し、ムルガーン師は次のように答えています。

「あらゆる偶像は、もし過去に崇拝されていたり、現在世界でただ一人でもそれを崇拝している人がいたりするならば、破壊しなければならない。我々であれ、他の誰かであれ、とにかく破壊しなければならないのだ。」

イブラーシー氏はさすがにジャーナリスト出身者らしく、もう一度念を押します。

「つまりあなたたちは、スフィンクスとピラミッドを破壊する(つもり)なのですか?」

これを肯定して、ムルガーン師は続けます。

「そうだ、我々は破壊するつもりだ。もしそれら(スフィンクスとピラミッド)が過去に崇拝されていたとするならば、それ(破壊すること)が義務なのだ!!」

番組に一緒に出演していたジャーナリストのナビール・シャラフ氏は、ムルガーン師の発言に対して、「アムル・ブン・アルアースだってエジプトの偶像を破壊しなかったし、今、偶像を崇拝している人なんて誰もいない。その上、スフィンクスとピラミッドは人類の遺産であり、エジプト人全ての所有に属するものでもある。私たちは、それらを破壊しようとする人、そうした行為を決して許しはしない」、と反論しました。同じく番組に出演していた、チュニジアのナフダ党の副党首ムールー師も、「崇拝の対象となっていない偶像を破壊する必要はない」と反論しますが、ムルガーン師はそんな反論などどこ吹く風、持論を全く曲げません。

番組後、エジプト各紙が改めて彼にインタビューをしているのですが、例えばタハリール紙に対しては、「我々はピラミッドとスフィンクスだけではなく、将来的に崇拝の対象となりうる偶像や、過去に崇拝の対象とされていた偶像全ての破壊を目標としている」と述べ、エジプト大統領ムルスィーに対しても、「ムスリムの統治者は、カアバ神殿にあった360体の偶像を破壊した神の使徒ムハンマドにならって、ピラミッドやスフィンクスといった偶像を破壊しなければならない」と提言しています。そしてタハリール紙の記者に対しては、「あんたはムスリムなのに、ピラミッドの破壊に反対している。なぜか?それはあんたが、神の法を知らないからだ。そんな人間に対して、我々はどう対応すればいいというのか?我々はあんたたちに聞きたい。私の言葉は、神の法にかなったものか、それともそうではないのか?」、とすごんだそうです。

全ての偶像が破壊対象だとすると、ピラミッドやスフィンクスといった考古学的価値のある遺物だけではなく、映画や演劇はもちろんのこと、エジプト中のあちこちに貼られているいろいろな人のポスターや、子どもも大人も大好きなキャラクターグッズの数々といったありとあらゆるモノが破壊対象になってしまいます。

そしてムルガーン師の発言は、確かに「イスラム法的に正しい見解」である、という点が厄介です。しかしイスラム法的には、「偶像を破壊せよ」というイスラム法の規定を現在のピラミッドやスフィンクスに適用するのを回避するべきである、という見解を導出することも可能です。このあたりがわかりづらいのですが、これこそがイスラム法の特徴です。

番組でムルガーン師は、「シャリーアは立法の主たる源などではなく、立法の唯一の源である。人々はなぜ、そのことを恐れるのだ?神の法を恐れる必要などどこにもない!!」と強調しています。確かにこの言にも一理あるのですが、シャリーアというのは目に見えない神の法だからこそ、それを誰がどう解釈するかが非常に重要で、非ムスリムである私からすると、シャリーアが彼のやり方で解釈され適用されたらやっぱりこわい・・・です。

2001年3月にバーミヤンにある二体の石仏が爆破されてから、11年。2001年は911事件がおこり、その後いわゆる「テロとの戦い」が始められた、歴史に残る年です。

「エジプトのピラミッドとスフィンクスが、イスラム過激派によって破壊されました」というニュースを発信する日がこないことを、祈るばかりです。

ムルガーン師のこの発言を受けてかどうかはわからないのですが、おそらくそのせいで、今日から治安当局はギザのピラミッドやルクソールといった遺跡エリアの警備を強化し、警戒にあたっているそうです。

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ニカーブの構造と女性のかぶりものいろいろ

先日、このところエジプト各地でニカーブをかぶった「女髪切り魔」が出没しているという記事を書きました。

ニカーブをかぶった女性はエジプトの街中にも結構たくさんいます。

にかーぶのひと

この二人の女性は、頭部にニカーブنقابとヒジャーブحجابをかぶり、下にアバーヤعباءة(ジルバーブجلبابともいいます)を着ています。手前の女性は、更に手袋まではめています。

ニカーブやら、ヒジャーブやら、アバーヤやら、なんのこっちゃ???という感じですが、これらは(特に)アラブのイスラム教徒女性が身につける装具の名前の一部です。アラブのイスラム教徒女性は、頭髪を覆ったスタイルをしている人が多いのですが、その覆い方は様々で、覆っている装具にも多様なバリエーションがあります。

エジプトで一番多いのは、ヒジャーブだけをかぶっている女性です。

ひじゃーぶ

色も柄も結構華やかで、よく見るとかぶり方にもいろいろあることがわかると思います。ヒジャーブというのは基本的にはふつうのスカーフで、それを頭髪と首の周りを隠すように巻き付けます。

また右の女性のように、何もかぶっていない人もいます。エジプト人は10%ほどがキリスト教徒で、彼女らには頭髪を覆うのが宗教的義務だと言う考え方はありませんし、ムスリム女性であってもヒジャーブ着用はイスラム的義務ではないと考えている人もいます。

年配の女性の中には、ヒマールخمارをかぶっている人も結構います。

ヒマール

ヒマールはヒジャーブよりずっとサイズが大きく、顔だけを出して首の下の方までずーっと覆い隠すスタイルで装着します。

そしてこれが、最近エジプトにも出没している、ニカーブとイスダールを装着したスタイルです。

にかーぶわたし

この人(私ですが・・・)は頭部に、ニカーブだけをかぶっています。目の上下を覆い隠している布が、ニカーブです。頭にかかっている部分をぺろっとはがすと、こんな感じになります。

めくったら

つまりニカーブは、目の下、鼻の上の位置で一度後ろにひもをまわして後頭部でそれを結び、その後布を一枚ぺろっと後ろにやって、目の部分だけを出すようにする、という構造になっています。

ニカーブだけをかぶっている、というわりには、ニカーブをぺろっとはがしても、まだ頭になにかかぶってるじゃん?!と思われるかもしれませんが、これはイスダールاسدالというものを着ているのであり、頭だけに何かをかぶっているわけではありません。

ニカーブをはずして、イスダールだけになると、こんな感じになります。

じゃーん。

いすだーる

なんじゃこりゃ?という感じですが、イスダールというのは、あたまの上からつま先までを覆い隠す衣装で、後ろから見るとひとつながりになっており、前から見るとこんなふうに顔の部分だけぽっかり開いているという構造になっています。エジプトの人は伝統的にはこういう服は着ないのですが、最近はニカーブブームにのっかって、湾岸諸国からイスダールも輸入されてきているそうです。私が着ているのは、UAE産のものです。

しかし、イスダールにせよニカーブにせよ、着て歩いてみるとわかるのですが、ひじょーーーーーーーーに暑いです。かつ、ひじょーーーーーーーーーに動きづらく、ひじょーーーーーーーーーに視界が悪いです。エジプトには、ニカーブをかぶって車の運転をしている女性もいるのですが、あれしか視界がなくて、よく運転ができるなあ、と感心するやら恐ろしいやら・・・という感じです。

イスダールとニカーブをかぶると、外気の通るのは目の部分だけなので、暑いだけではなくかなり息苦しいです。実際に私は、一日着ていた時、外出先で窒息しそうな感じでした。足さばきが悪いうえに、視界も悪いので、階段をのぼったり下りたりするのも至難の業です。

以前アブー・イスラーム師というイスラム主義者にインタビューをした時、彼は「ニカーブ着用は自由人女性の自由の象徴だ!」と強調していましたが、夏場普通に40度を超すカイロに住んでいる以上、ニカーブを着ない自由を選択したい・・・と思ってしまう私でした。

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女髪切り魔出没中

このところエジプト各地で、「女髪切り魔」が出没しています。

昨日、一連の「女髪切り魔」事件の中で、最初に起こった事件の犯人に対する裁判が開かれ、犯人に懲役6ヶ月、執行猶予3年の実刑が言い渡されました。

こちらがその犯人。

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こちら、被害者。

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被害者である女の子の髪の毛は、片側だけ短くなってしまっているのがわかりますが、それを無理矢理切断したのが、既出のニカーブ(ニカーブについての詳細はこちら)をかぶった女性です。

この女性はルクソールにある小学校の教師で、被害者の女の子はその生徒(小学校6年生)です。教師は10月17日、この子を含む二人の女子児童(生徒)がヒジャーブをかぶっていないことに腹をたて、強制的に二人の髪の毛を切った上で、二人にヒジャーブをかぶるよう命じました。

裁判は二回開かれたのですが、教師は二度とも出廷せず(エジプトの裁判ではなぜか被告人が欠席することが非常に多いです)、そのかわりに彼女の弁護士が5人も出廷して、彼女の権利を弁護したそうです。彼女の行為は2008年につくられた子どもの権利法126条に違反するとして、実刑判決が下されました。

当日の法廷内の警備は非常にものものしく、その時点で判決は厳しいものになるだろうということが予想されたそうです。ものものしい警備は、傍聴者たちが実力行使をして判決に反対する場合に備えてのものだったのでしょう。

そして今日のエルヨウムッサービウاليوم السابع紙には、また新たな髪切り魔事件に関する記事が掲載されていました。

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写真右側が被害にあった女の子、左側が切られてしまった彼女の髪の毛です。

彼女は中学二年生(13歳)のマギさんというキリスト教徒なのですが、通学のために地下鉄に乗車し、学校のあるالحلمية الزيتون駅で下車した時に、初めて自分の髪の毛が切断されていることに気づいた、ということです。それで彼女は、混み合っていた地下鉄車内でニカーブをかぶった女性が自分の背後に立ち、「あんた、今のその格好は何?なんにもわかっちゃいないのね」と言ったことを思い出したそうです。

彼女の両親は警察に届けをだし、早くこのニカーブ女を逮捕してほしいと内務大臣に懇願したそうです。マギちゃんは精神状態をくずし、ものも食べられない状態だそうで、本当にかわいそう・・・。

エジプトでは革命後、ニカーブをかぶる女性が増えたと言います。公の場でのイスラム的恣意行為を厳しく制限してきたムバラク前大統領が退陣したことで、イスラム主義政党が多く認可され、イスラム主義大統領も誕生し、ジハード主義者が公の場に「私はジハード主義者ですっ!」と登場することすら可能になるなど、「イスラム的自由」が大幅に広まりました。

ニカーブをしたい人がニカーブをすることのできる環境は、よいものだと思います。その環境下で、ニカーブをかぶりたい人がかぶればいいのだ、と思います。しかしこれはあくまでも、外国人でありムスリムでもない私の考え方です。問題は、ニカーブをかぶっている女性の一部に、「女は全員ニカーブをかぶらなきゃいけない」と思い込んでいる人がいる、という点です。

既出の小学校教師は相手がまだ子どもなので、髪の毛を隠さないくらいならこうしてやれ!と髪を切ったあげく、(彼女的には)百歩譲って「ヒジャーブかぶれ」と命じたのでしょう。地下鉄のニカーブ女は、相手がキリスト教徒であることなどまったく眼中にないまま、ただ髪の毛を隠していない女の子がいるという事実が許せない!という思いだけで、彼女の髪を切るという暴挙に及んだのでしょう。

これらの「女髪切り魔」が本当に、神の命令に忠実なよき信徒であり、彼女らの行為は神によって讃えられるべきものなのでしょうか?その真の答えは「神のみぞ知る」なはずですが、残念なことに、ここエジプトには「彼女らこそ真のムスリマだ」と疑念の余地なく答える人々も少なからず存在します。

とはいえ、現状のエジプト司法は女教師の行為を違法と判断したのですが、その源となっている現行法がイスラム主義者からみると神への反逆の象徴であるという点が何とも・・・なわけですが。

これ以上、へんな正義感や使命感にかられて、あるいは教師や大人という「強い」立場を濫用して、同様の犯行を行う模倣犯のような人たちがでてこないことを祈るばかりです。

私も大学生の時、通学途中の地下鉄車内で着ていたブラウスを切り刻まれるという恐怖体験があって、なんだかそのことを思い出してしまいました。その変態はさすがに、一応、自分がやっていることは悪いことだと思っていただろうと推察するのですが、女教師や地下鉄ニカーブ女は正しいことをやっていると信じているだろう点が・・・やっぱり許せん!!(いや、変態も許せないのですが・・・)

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シャルムエルシェイク:イベロテルパレス編

シャルム(シャルムエルシェイクشرم الشيخ)に行ってきました。

シャルムはシナイ半島の南端に位置するエジプトきっての紅海リゾート地で、エジプト前大統領ムバラクが超大好きだったことでも知られています。

10月末のイード休暇中に二泊三日で行ったのですが、まだまだ海で泳げる気候でした。

カイロの空港から国内線で45分。シャルムの空港から今回宿泊したイベロテルパレスまでは、タクシーで15分くらい。空港から市内へのタクシー料金はだいたい定額で、イベロテルパレスのあたり(オールドマーケットのすぐそば)までだと120エジプトポンドです。

ホテルの部屋からの眺めはこんな感じ。

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なんだかソフナ(アインソフナ)のリゾートホテルにそっくりです。ビーチはホテルに隣接しています。

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これまたソフナにそっくりです。ソフナと違うのは、いるのがほとんどヨーロッパ人で、女性のビキニ率が90%以上だってことくらいです。ここでは、ビキニを着ていても目立ちませんが、ブルキニを着ていると大変目立ちます。

少し離れると、後方にごつごつとしたシナイの岩山がそびえているのがわかります。

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このホテルはもうひとつのビーチを所有しており、そのコーラルビーチなる場所へはモーターボートで無料送迎してくれます。ボートで5分くらいのところにあるのですが、こんな感じです。

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ここはサンゴ礁の群生(?)している場所で、シュノーケリングをするとカラフルなサンゴ礁や熱帯魚がたーっくさん見えます。水面からでも、魚がこんな風に見えます。

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こんな青くて細長い魚などもいます。

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私たちは水着だけしか持って行っていなかったのですが、コーラルビーチで大の大人達が楽しそうにシュノーケリングをしているのを見て羨ましくなり、早速シュノーケルセットを購入(@オールドマーケット)。さらに、足下がごっつごつで裸足では非常に痛いので、同じく皆さんが履いていた靴のようなものも購入(@オールドマーケット)。

シュノーケルのセットって、すごく高いのかなあと思っていたのですが、ホテルの対面にあるオールドマーケットのお店でおにーさんに値段を聞くと、「ふつーのとシリコン製のやつがあるけど、どっちがいい?」と言われたので、「じゃあシリコン製」と言うと、「え。シリコン製は超高いよ?!」と言うので一瞬ひるんだのですが、実際は130エジポン(1500円くらい)でした。おまけしてくれて120エジポンなり。ビーチシューズはオニールの偽物がたくさん売られていて、25エジポン均一。

シリコン製ではないシュノーケルは45エジポンだったのですが、一日使ってはやくもぶっこわれました。シリコン製はまだ健在。ビーチシューズも、二日使って破れまくりました。でもまあ、今回使うだけなら十分、という感じです。

シュノーケリングというと今まで、なんだかダイビングに匹敵するような高尚な(?)ものかと思っていたのですが、むっちゃ簡単で、全然泳げないうちの旦那でもスイスイと楽しそうに魚たちと戯れていました。私も旦那も、パープルやグリーンやブルーのサンゴ礁がわさわさ生えて(?)いて、そこを多種多様なカラフル魚たちが泳ぎ回っている様子をこの目で見るのは(水族館以外では)初めてだったので、すごーーーーーーーーく楽しかったです。特に、サンゴの群生地と深い海の境界線の景色は、それはそれは見事でした。時間を忘れて見入ってしまい、結構体が冷えました・・・。

ちなみに、サンゴのことをアラビア語では「海の木شجرة البحر」というのですが、本当に海に木が生えているみたいでした。

イベロテルパレスはトリップアドバイザーを見て適当に選んだホテルですが、このコーラルビーチにすぐに行かれる点と、オールドマーケットというお土産屋さんやレストランのある区域が目の前にあるのがすごく便利でした。

夜のオールドマッケットはこんな感じです。

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雰囲気はなぜか、ちょっとマラケシュ風で、懐かしい感じがしました。

ロシア語が目立ちます。

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シャルムはロシアやイタリア、ドイツなんかからの観光客が多いようです。

オールドマーケットでおすすめのレストランは、ファーリスという魚料理やさんです。新鮮な魚がいっぱい。

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魚を選んで、料理法を指定して作ってもらいます。料理法といっても、焼くか揚げるかしかない(エジプトはだいたいそうです)のですが、この店はあまり余計な味付けをせず、殆ど塩しか使わないので、日本人ウケすると思います。私たちは、エビとイカをグリルで、サワラをフライで食べました。おいしかったです。

イベロテルパレスでも一回夕食を食べたのですが、ここの夕食はかなーりまずいです。ビュッフェなのですが、こんな感じ。

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お客はこんなように、ヨーロッパ人だらけです。ビュッフェは種類豊富で、一見おいしそうなのですが、残念なことに殆ど全てがまずいです。

野外には魚をグリルしてくれるコーナーもあったりするのですが・・・

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魚はいわゆる「ブリ」しかなくて、がっくし・・・。

エジプトにおける「ブリ」とは、日本でいう「ボラ」を指します。エジプト人は「超おいしい!」「大好き!」とみんな言うのですが、残念ながら私たちにとっては・・・という味です。

食後には、ホテルが主宰する夜のイベントが目白押し。

エジプトのリゾートには必須のミニディスコがあったり・・・

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エジプトの民族舞踊があったり・・・

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タンヌーラがあったり・・・

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ベリーダンスがあったり・・・

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と結構楽しいです。うちの娘はダンス大好きっ子なので、舞台にかぶりついて見続けます。

シャルムはソフナと似ている所も多いですが、

1)外国人が多いので雰囲気が開放的
2)サンゴの海で熱帯魚と簡単にふれあえる

という二点が秀でている点としてあげられると思います。

今回は飛行機で行ったのですが、次回はがんばって、カイロから車で行ってみようかと思っています。

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ナビール・ナイーム:元ジハード団指導者

ナビール・ナイームنبيل نعيمさんは、エジプト各紙に非常に頻繁に登場するメディア好き(?)するイスラム主義者です。

1981年にエジプトのサダト大統領を暗殺したことで知られるジハード団の創設者とか、元リーダーとか、単にジハード団指導者とか、いろいろな肩書きでメディアに登場しています。サダト暗殺の容疑で1981年に逮捕、投獄され、1988年に釈放された後、アフガニスタンにわたってビンラーディンやアイマン・ザワーヒリーと行動を共にしたとされます。

私たちは2012年4月に彼にインタビューをしました。

名称未設定

カイロ市内のとある場所にある彼の事務所でインタビューをすることになっており、近くまで来た旨を連絡すると、「あー、早いねえ、もう着いたの?今ちょっと、あなたたちのために冷たい飲み物買いに出てるから、ちょっと待っててくれる?」とのこと。

事前に写真をみた限りではかなりこわいイメージだったし、なんといってもあの過激思想と武装闘争で知られたジハード団の人だからむっちゃゴリゴリの人に違いない・・・という私の先入観は、この一言でもろくも崩れ去りました。エジプト人の言う冷たい飲み物というのは、ジュースとかコーラといった甘い清涼飲料のことを意味するのですが、(元)ジハード戦士が客のためにいそいそとコーラを買いに行く姿を想像しただけでも、なんだかもう・・・という感じです。

実際に会った彼は、写真でみていたよりずっと柔和な顔つきの人でした。彼の事務所には彼のお友達ら数人がわらわらとたむろしており、みんな「ムショ仲間」だと言っていました。事務所は何のために構えているのかとたずねたところ、「まあ、メディア対応用かなー。インタビューとか受けることが多くてねー、あはは」とのこと。

そして彼は、嬉しそうに、自分が出ている新聞を次々と取り出して私たちに見せました。メディアが彼を好きなだけではなく、彼もメディア(への露出)が好きなようです。

彼との質疑応答の一部を以下に掲載しておきます。

Q 現在、ジハード団は存在するのですか?

A 今はもうありません。ジハード団は2005年にジハード思想、武装闘争を放棄し、組織解体にふみきったのです。もともとジハード団は、ジハードを行うためのみの組織であり、人々に対する教育や宣教、慈善活動といったその他の活動を目的とはしていませんでした。だからジハードを放棄することが組織解体に直結したのです。

Q ではあなたは現役の「ジハード団のリーダー」なわけではないのですね?

A ちがいます。新聞によってはそのような書き方がされている場合もありますが、かつてはある程度の地位にあったものの、今はジハード団自体が存在していませんから。

Q ジハード団のメンバーは現在、どうしているのですか?

A ムバラク政権時代に、私たちのメンバーは殆ど逮捕、投獄され、拷問されたり殺されたりした人も多くいます。生き残った者達も、長期にわたって獄中生活を送っていたので、釈放された後は、まずは生活を立て直すことに懸命になっていた人が多いです。彼らは殆ど、思想的にはいわゆるサラフィーなので、サラフィー政党を支持している人も多いと思います。

Q 最近、「アッラー以外に神はなし、ムハンマドは神の使徒」と書かれた黒旗を掲げてデモを行う人々が出現していますが、彼らのことをどう思いますか?

A 黒旗集団は武装闘争を復活させようとしているようですが、このやり方は私たちが過去に実践して失敗したやり方であり、今再びこのやり方を採用しようとすることは、正気を失っているとしか思えません。私は彼らの組織や、個人について知っていますが、具体的な言及は避けたいと思います。

Q アシューシュ師شيخ احمد عشوشやムルガーン師شيخ مرجان سالم الجوهريのように、黒旗を掲げてジハードを称揚する新たなジハード組織が登場していますが、彼らについてはどう思いますか?

A アシューシュもムルガーンも、拳銃すら握ったことのない人間です。彼らはジハードを実際に行ったことなどないし、今後も何もできないでしょう。武器を買うことは誰にでもたやすくできますが、それを実際に使用することは誰にでもできることではありません。実戦の経験のない彼らには、何もすることはできないでしょう。私からいわせれば、彼らはまだひよっ子にしかすぎません。彼らのジハード思想も、馬鹿げていると思います。

Q エジプトには今、アルカイダはいますか?

A 組織としてのアルカイダは存在しませんが、思想としては存在しています。たとえばシナイ半島にはタクフィール思想をもった組織がいくつもあります。それらの中にはアルカイダを自称するものもあります。彼らの人数は全部で500人から700人くらいでしょう。治安当局は彼らのことをきちんと把握していますし、彼らは基本的に分散して活動しているので、彼らが一斉に武装放棄する可能性は低いでしょう。

Q アイマン・ザワーヒリーはかつてあなたに、エジプトでアルカイダ組織をたちあげるよう要請したのですか?

A 確かにそのようなことはありましたが、私はとても無理だと言って断りました。当時は、アフガニスタンでのジハードが終わった後に、それを実行する計画があったのです。

Q 今後エジプトでジハードという名のテロが起こる可能性についてはどう考えますか?

A ジハードはまだ起こりうると考えています。でもジハードを行う可能性があるのは、アシューシュやムルガーンといった年をとった人々ではなく、大学を出ても職のない1千万人の若者でしょう。革命をおこしたのも、教育を受けたのに満足な仕事に就けなかった若者たちです。彼らが社会の不正に気づき、それを変えようと思ったときには、武装闘争でも自爆でも、どんなことでも躊躇なく行うでしょう。

Q あなたは武装闘争は放棄したとおっしゃっていますが、それではイスラム法の適用、イスラム国家の建設という理想はもう捨ててしまったのでしょうか?

A そうではありません。私たちは理想の実現のために武装闘争路線をとり、それを実戦し、そして失敗しました。私たちがここから学んだことは、イスラムには確かに理想があるが、現実を見据えた上で、出来ることと出来ないことがある、ということを見定める必要があるということです。私はただ、現実的なだけです。

Q イスラム主義者の中には、民主主義自体をハラームだとして退ける人たちがいますが、あなたは民主主義についてどう思いますか?

A 私は民主主義は決してよいものではない、と考えています。しかしムバラク政権のような独裁と比べると、民主主義のほうがまだましだと言えます。ふたつの悪(マフサダمفسدة)がある場合には、より軽微な悪、より小さい悪を選択し、より大きな悪を退けなければならないというのが、イスラム法の考え方です。また人々は今、平和と安定を求めています。人々が求めている上に、イスラム法においても、平和と安定が普遍的な利益(マスラハ・アーンマالمصلحة العامة)だとされています。私はこの普遍的利益を保全することが重要であると考えているのであって、民主主義を積極的に擁護しているわけではありません。

私が個人的に一番興味深かったのは、最後の部分です。シャリーアの信奉者として、彼は民主主義とそれにもとづく諸制度、例えば選挙や議会、憲法といったものを決してよいものとは考えていません。しかし急進的にイスラム国家実現をめざすあまり武装闘争に走り、多くの一般市民を巻き添えにしてきた過去をもつ者として、そうした悲劇的内乱状態よりも、まずは平和と安定が先決であるとしているのです。

私はずっとマスラハの研究をしてきたので、「そうそう、イスラムにはちゃんとそういう考え方ありますよねー」と妙に意気投合してしまいました。

ナビールさん、いい人だったな・・・(個人的感想)。



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イスラム主義者とは何者か

エジプトでは、イスラム主義者と会ったりインタビューをしたりする機会がしばしばあるので、その記録を書き留めておこうと思います。それに先だって、まずはイスラム主義者というのは何者なのかについて、概略を示しておきます。

イスラム主義者というのは、エジプトのメディアでイスラーミーاسلاميと呼ばれている人の日本語訳で、概ねイスラム法(イスラムのシャリーアالشريعة الاسلامية)の適用、イスラム法による統治、イスラム法に従った社会の実現を目指す活動家のことをさします。イスラム法の適用を志向してはいても、(政治的)活動を行っていない人のことはあまりイスラム主義者とは呼びません。

イスラム法というのは、人間活動の全領域をカバーするイスラムの「掟」であり、そこには当然政治も含まれているため、イスラム主義は自ずと政治的イデオロギーになります。。

イスラム法は神から人間に与えられた法、つまり立法者を神とする天啓法であり、イスラム教徒はイスラム法に従ってこの世を生きることによってのみ、来世で天国に行かれることになっています。

イスラム主義者にとって、たとえば今のエジプトは一般に、イスラム法が適用されていないダメ国家であるとうつります。エジプトは日本のように憲法を柱とする世俗法体系を有し、それを適用する世俗国家であって、イスラム法はその原則が法源であると憲法で規定されているのみです(現在新憲法をつくっている途中です)。

イスラム主義者はイスラム法を国の法として適用し、イスラム法に従った統治を行い、イスラム法的秩序を社会の隅々にまで行き渡らせることを目標としているのですが、ここにはややこしい問題がいくつもあって、そのひとつとしてイスラム法が成文法ではない、という点があげられます。

イスラム法はコーランとハディース(預言者ムハンマドの言行録)を二大法源とし、人間生活のあらゆる問題についてそこから解釈を導きだす、その過程と結果の集合体を意味するので、六法全書のように、「はい、これがイスラム法体系ですよ」と目に見えるかたちで存在しているわけではありません。

そして彼らは、目に見えるかたちの法を人間がつくることを、神の権利の侵害であり、重大な罪であると考えます。彼らにとっての立法者は神だけなので、人間が世俗法を立法することは即反イスラムを意味します。

え。それじゃあ、解釈の体系としてしか存在していないイスラム法を適用して統治を行うって、どういうこと?となるわけですが、この辺が漠然としているのがイスラム主義者の特徴のひとつです。漠然としているというのはあくまで私の印象であって、彼らの主張ははっきりとしており、彼らは、目に見えるかたちで、つまり書物として存在しているコーランとハディースに従えばよいだけである、としています。

イスラムでは、コーランは完全無欠とされています。つまりコーランにたちもどれば、あらゆる問題が解決される、というのがイスラムの信仰の要というわけです。にもかかわらず私が「漠然としている」と述べるのはなぜかというと、コーランとハディースに従うだけでは事足りないからイスラム法体系が発展したという史実があるからです。コーランが無欠缺であっても、それを解釈するのは間違いをおかす人間たちです。歴史的にムスリムたちは、あらゆる問題について、神のご意思はいったい何だろうということをなるべく慎重に解釈しつつ、最終的に正しい判断は神のみぞ知るのだ、という態度を貫いてきました。その結果、おそろしく大部なイスラム法体系が構築されてきたのです。

うーん。イスラム主義について概略的に記すのは、やはり非常に難しいです。私はイスラム法が専門なので、どうしてもあれこれ書きたくなってしまいますし、イスラム法について書き出すと本当にきりがありません。

それにイスラム主義者といってもその実態は非常にバラエティーに富んでいるので、ひとつの問題をとりあげるだけでも、それについての彼らの見解を網羅するのは不可能であるといっても過言でないくらいです。

とにかくイスラム主義者というのは、政治も社会も経済も、人間生活全てをイスラム的に正しく実践することをめざして、主として政治活動を行う人のことだ、と言っていいと思います。細かい点については、上記のように、彼らの各々の主張はおそろしく隔たっており、イスラム主義者同士でもよくけんかしています。

このブログでは私が実際に会って話を聞いたイスラム主義者を中心に、紹介していきたいと思います。

プロフィール

 飯山陽

Author: 飯山陽
イスラム思想研究者。専門はイスラム法。都内の大学でイスラム思想を教えていましたが、現在はエジプトのカイロ在住、メディアの仕事をしています。
イスラム国に関しては別ブログ「どこまでもイスラム国」をご覧ください。

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