--

--

コメント

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

02

25

コメント

ザイナブ廟とシャーフィイー廟

年末から絶え間なく客人がカイロを訪れていたため、カイロ観光名所にひたすら行く日々が続いていました。

今日は研究室の後輩が訪れた際に案内した、通常の観光コースには含まれないであろうと思われる廟などをご紹介します。

エジプトには一般の人々の墓だけではなく、多くの歴史的人物の墓があるのですが(まあ当たり前ですが・・・)、その中には参詣地として人気を集めている墓もたくさんあります。

中でも、カイロで最も人気のある墓のひとつが、預言者ムハンマドの孫娘ザイナブ(エジプト人はザイナブではなくゼーナブとよびますが・・・)の墓です。ザイナブは、ムハンマドの娘のファーティマと、ムハンマドの従弟(かつ娘婿)であるアリーの間に生まれた女の子で、ハサン、フサインは彼女の兄弟にあたります。ザイナブは一説によるとエジプトで他界したことになっており、彼女の墓にはモスクと廟が併設されています。

サイイダ・ザイナブ廟(モスク)は、カイロの中でも結構シャアビー(庶民的)なエリアにあります。

DSC04748.jpg

モスク部分と廟部分にわかれており、廟の部分には男性用と女性用の入口が別々にあります。女性用の入口はこちら。

DSC04750.jpg

今回は早朝に行ったので、ものすごく混んでいるというわけでもありませんでしたが、それでもひっきりなしに女性達がやってきて、棺桶前にはりついて、熱心に様々なお願いをしては帰って行きます。ここへは、病気がよくなるように、というお願いをしにやってくる人が多いようです。

DSC04756.jpg

その他にも、棺桶方向に向かってサラートをしている女性がいたり(!)、子連れで友達とおしゃべりしている女性などもいます。棺桶に向かってサラートするのは、本当に???という感じなのですが、人気の聖者廟にいくと、この手の女性は結構頻繁に見られます。

ザイナブは、預言者ムハンマドに非常に近い肉親であるという点で、もっぱら人気を集めているタイプの「聖者」です。イスラムは原理的には、神と人間の間に仲介者をおかない(はず)の宗教なので、厳格タイプのムスリムはこうした「聖者」に願掛けをする行為を「ハラーム(禁止行為)」として非難し、聖者の廟を破壊したりもするのですが、一方で廟に参詣して願掛けをすることは一般ムスリムの生活に根付いている、という側面もあります。

ザイナブ廟から車でシャーフィイー廟に向かう途中で、イブン・トゥールーン・モスクに立ち寄りました。

DSC04771.jpg

カイロで現存するなかでは最も古く、おそらく一番大きなモスクです。この、へんてこりんな形のミナレットで知られています。イラクのサーマッラーのモスクの真似をしたとかいう話。

DSC04773.jpg

エジプトの歴史のなかで、トゥールーン朝の存在はついうっかり忘れがちなのですが(ごめんなさい・・・)、ここに来ると、エジプトに初めて独立したイスラム王朝を樹立した彼(イブン・トゥールーン)の存在を思い出します。

この一帯は古いモスクが数多くあり、私もどのモスクが何なのか、よくわかりません。とにかくいっぱいあります。

こちらは、サイイダ・アーイシャ・モスク。

DSC04792.jpg

先日アフマディネジャド大統領がカイロを訪問した際、彼はエジプト人(というかスンナ派)に敬意を表して、ここを訪問したそうです。本当はここで礼拝しようとしたらしいのですが、混雑を理由にやめた・・・とか何とか。シーア派とスンナ派が仲良く出来ない一大原因は、アーイシャにありますからねえ。

ここからはいわゆる、死者の町。お墓だらけのエリアで、ついでに人も住んでいます。

DSC04802.jpg

扉のようなものがあるところがそれぞれの墓の入口で、一家で一区画を所有していることが多く、お金があったり、著名だったりする人の墓にはウッバ(ドーム)が付設されていることもあります。

DSC04803.jpg

こちらがシャーフィイー・モスクの入口。

DSC04804.jpg

イマーム・シャーフィイーというのは、イスラム学をやってる人間にとっては超重要人物で、メッカで生まれて砂漠で育ち、法学を修めた後に自らの法学テーゼを体系化し、最後は西暦820年にカイロで死んだ人です。でもまあ、基本的には「学者」なので、サイイダ・ゼーナブと違って庶民人気は全然ありませんし、人気がないどころか、シャーフィイーが誰なのか知っている人も、そう滅多にいない・・・という感じです。

モスクは祈る場所なので、私たちは廟の方へ。

廟の中の見取図と簡単な歴史について記してあります。

DSC04805.jpg

廟の入り口はこちら。

DSC04824.jpg

最近、とある人が日本で、シャーフィイー廟が多くの参詣者でものすごくにぎわっている云々という発表をしたと聞いて、閑散としたシャーフィイー廟にしか行ったことのない私は、「もしかしたら近日急速にシャーフィイー人気が高まったとかいうことがあるのかも?!」と期待していたのですが、この日もまたこんな感じ。

DSC04818.jpg

おじさんが1人、ドゥアーをささげているだけでした。

これがシャーフィイーの墓。

DSC04813.jpg

のぞくと、お願いごとを書いた紙やお金が見えます。

DSC04816.jpg

でもこれも、前に来たときと全く同じ状態。増えもせず、減りもせず。

この日はついでに、フサイン廟&モスクにも行ってみました。

DSC04839.jpg

フサインはシーア派のイマーム・アリーの次男で、カルバラーで殺された悲劇の指導者なのですが、一説によると彼の首はカイロに運ばれて来たことになっており、その上にこのフサイン・モスクが建てられたことになっています。

ここはよく来ていますが、中に入るのはものすごーく久しぶりです。基本的には観光客用に解放しているわけではなく、普通に礼拝用として使われているので、女は女の入口から入って女の場所にしか行くことができません。

中に入るとこんな感じ。

DSC04837.jpg

まあ、ふつうです。たしかフセインの墓は男の場所の方にあるので、女性は近づいてペトペト触ったりすることは出来ないっぽいです。私が大学生の時にきた際には、フセインの墓が見られた記憶があるのですが、まあ、いろいろかわったんだと思います。

ついでに、アズハルの裏手の本屋さん街へ。

DSC04846.jpg

小さい本屋が軒先を連ねています。私はカイロではアラビア語の本をあまり買わないので、どこでどんな本が売っているかは全然わかりません。欲しいものがあったら、本屋のおじさんに聞いて、どこにあるか教えてもらうのが常套手段です。

シャアラーウィーの本がいっぱい売られています。

DSC04845.jpg

やっぱり人気があるんだなー、と実感。

エジプトはピラミッドやツタンカーメンを始めとする古代遺跡ばかりで有名ですが、特にカイロにはモスクや廟などの中世の遺跡もものすごーくたくさんあって、私もまだ全然見きれていません。

あちこちに客人を案内する度に、カイロの街の懐の深さというか、歴史の重みというか、そういったものを再認識させられます。

・・・ボロいだけじゃないぞ、カイロ(笑)。

続きを読む

スポンサーサイト

02

07

コメント

エジプトにおけるシーア派勢力の拡大

イラン大統領アフマディネジャドのエジプト訪問を機に、エジプト各紙はまたエジプトにおけるシーア派勢力拡大の危険性について、あれこれ書き始めています。

今日のالوطن紙の記事が面白いので、まとめておきます。

▼シーア派はエジプトに数百万人いる!
・イブン・ハルドゥーン・センター長によると、シーア派のエジプト人は数百万人
・エジプトにおけるシーア派のスポークスマンにして革命明日党のメンバーでもあるバハーウ・アンワルによると、シーア派のエジプト人は三百万人。

▼エジプトにおける主たるシーア派勢力
【十二イマーム派】エジプト最大のシーア派勢力、イランに属する
【アール・アルバイトال البيت系】カイロにある「アルブトゥールالبتول」という組織や、サイードを中心に広まっている「ドレイミーالدريمي」という組織に代表される
【シーラーズィー系الشيرازية】タンターや、大カイロに存在しており、イラクのシーア派に属する
【ムスタブスィルーンالمستبصرون】シーア派タフスィールを重視する一派。シリア危機の解決をめざして最近事務所を開設

▼シーア派参詣地はエジプト各地にある!
・シーア派はシーア派が重要とみなす人物の墓を参詣地とみなし、そこに足しげく通うのだが、エジプトにはそうした人物の墓が全国各地にものすごくたくさんある
・特にアインシャムスにあるマーリク・ブン・ハーリス・アルアシュタルمالك بن حارث الاشترの墓への参詣が非常にさかん。アルアシュタルは、アリーの側近中の側近で、ふつうのエジプト人にはあまり知られていない。
・フサインの墓、アリーの息子ハサンの孫にあたるサイイダ・ナフィーサの墓等もシーア派に大人気。
・ハーキム・モスクがハウザのひとつであることは、誰の目にも明らか

▼革命後のシーア派の動き
・1950年代からカイロのمكتب النجاحのようにシーア派の組織や事務所はあったが、革命後により活性化
・2011年11月2日にアフマド・ラースィム・アッナフィースがシーア派政党の認可を求めて書類を提出
・2011年12月5日に初めてシーア派の人々がフセイン・モスクの前でアーシューラーの行事を祝う
・2012年4月20日にシーアはが「革命救済」の為のデモに参加
・2012年5月6日にエジプトで初めてのフセイニーヤ(シーア派の会堂)がオープン
・2012年11月17日にドッキでシーア派秘密組織のメンバー(外国人7人、エジプト人23人)がシーア派宣教の罪で逮捕される

▼イランはエジプトを標的にしている!
・イランはエジプトを支配下におこうと画策している
・エジプトの混乱に乗じて、エジプトのシーア化ももくろんでいる

▼エジプト各地にシーア派の組織が存在している!
・ダクハリーヤ県、ガルビーヤ県、ブハイラ県、シャルキーヤ県、イスマーイリーヤ県、アスワーン県の様々な村や地区に、シーア派の組織や宣教センター、イランやイエメンと頻繁に交信しているグループなどが存在することが確認されている

02

07

コメント

アズハルがイランを歓迎できない理由

現在、イランの大統領アフマディネジャドがエジプト滞在中です。

彼はエジプトに着いたその日にアズハル総長のアフマド・エッタイイブと会合をもったのですが、その後開かれた記者会見には、タイイブの姿はありませんでした。そのことが、今更のようにエジプト各紙でとりあげられています。

例えばالمصري اليوم紙によると、タイイブが記者会見を欠席したのは、「アズハルは預言者ムハンマドの一家や、教友たちに対する侮辱は断固として許さない」という強いメッセージを、イラン、イランの宗教権威、さらに世界に対して発信するためであった、とのこと。

実際に、アフマディネジャドとの共同記者会見にアズハル側の代表として出席したハサン・アッシャーフィイー(アズハル総長諮問委員)は、「エジプト国民は、預言者ムハンマド一家や、教友たちに対する暴言は絶対に認めない」とか、「エジプトにおけるシーア派宣教活動は許しがたい」とか、イランに対する文句を言い始めてしまいました。すると、アフマディネジャドは「明らかな怒りの表情をうかべて」、アラビア語で「友好や協力について話して下さい」と要請、シャーフィイーはそれを完全に無視して、「我らがアーイシャに対する侮辱は絶対に認められない」とか、「イランはバーレーンを始めとする湾岸諸国のことに口を突っ込むべきではない」とか、「イランにおけるスンナ派の人々をもっと保護すべき」とか、あれこれ言いたい放題でした。

以前このブログにも書いたように(「カイロのムトア婚」)、エジプトでは2011年の革命後、シーアの活動というのが顕在化してきており、スンナ派宗教界や一部の人々は「シーア派がエジプトをのっとろうとしている!」なんて言ってこれをかなり危険視しています。

なので、ムスリム同胞団のダアワ担当責任者アブドゥッハーリク・アッシャリーフや、ダアワ・サラフィーヤのアブドゥルムヌイム・アッシャハートは、シャリーフが共同記者会見で述べた内容に「非常に満足した」との声明を発表し、「これでエジプトは安泰だよね」なんて述べています。

エジプトの学校には「宗教」という科目があるのですが、学校によって(私立か公立かなどの)多少の違いはあるものの、大概の場合その科目は信仰している宗教別に受けることになっているそうです。イスラム教徒はイスラムの授業を受けるのですが、そこでは「イスラム教には、大きく分けてふたつの宗派があり、それはスンナ派とシーア派です」という内容には全く触れられず、「イスラム教=スンナ派」という前提でイスラムが語られるため、こうした要因もあって、シーアとは何か、という知識は学校レベルでも、また一般国民レベルでも殆ど知られていないのが現実です。

シーア派についての断片的な知識として多くのエジプト人が知っていることと言えば、「シーア派はアーイシャを侮辱している」とか、「シーア派は正統カリフを侮辱している」とか、そういうスンナ派の人々にとっては受け入れがたいマイナス面ばかりであり、そこから「シーア派はイスラムじゃない」という単純な結論が導かれるのが常となっています。

なぜシーア派がアーイシャとか正統カリフを侮辱するかというと、シーア派の人々は、ムスリムたちの指導者としてのカリフ(イマーム)の位は、預言者ムハンマドの死後即座にアリーに譲られるべきであったと信じているからです。だから、アリーを差し置いてカリフ位についた、アブーバクルやウマル、ウスマーンは「許せん!」と思っている訳で、あとアーイシャに対しては、「女のくせにアリーがカリフになることに反対して、おまけに戦争までしかけてきたから、全然許せん!」と思っている訳です。

まあ、これは一般論で、全シーア派信徒が彼らを侮辱しているかどうかは全然別の話なのですが、多くのスンナ派信徒はこれを理由としてシーア派を「イスラムとは認めない」と思っているのが実情です。

イランとエジプト、お互いに仲良くしたいと思っているところもあるはずなのですが、宗教的な差異を乗り越え、政治的、あるいは経済的に連携するとかいう方向へむかっていくのかどうか、全然わかりませんが、注目していきたいと思います。

02

06

コメント

アフマディネジャドのエジプト訪問

昨日、イランのアフマディネジャド大統領がエジプトに到着しました。イランの首脳がエジプトを訪問するのは、1979年のイラン・イスラム革命以来初めてのことです。

昨日はアズハル総長と会談してから記者会見をし、その後、フセイン・モスクを訪問してマグリブとイシャーの礼拝をあわせたものをそこで祈ったそうですが、事件は彼がモスクから出て来た時におきました。



この映像だとよくわかりませんが、シリア人がアハマディネジャドに向かって靴を投げつけようとし、逮捕されたのです。「俺たちの同胞を殺しやがって!」、などと叫んだ人もいたそうです。

こちらは今日のالوطنに載っていた写真。

DSC04558.jpg

この白い○で囲われているのが、靴のようです。

そして下の写真の白い○で囲われているのが、逮捕された人の、靴を履いていない方の足です。

DSC04559.jpg

アフマディネジャドは今回のエジプト訪問に際し、エジプトと仲良くする気満々でいたようで、彼自身は、「イラン(国民)とエジプト(国民)が協調していく上では、何の障壁もない」なんて言っていますが(الاهرامより)、実はものすごくたくさん障壁がある、ということが、この靴投げ事件からもよくわかります。

エジプトにはシリアから逃げて来たシリア人がたくさん住んでおり、彼らの中には、アサド政権を支持し続けているイランを敵視し、嫌悪している人も多くいます。またエジプト人の中にはシーア派というのはイスラムではない、と思っている人も多く、イランがエジプトをシーア化しようと画策している、とお決まりの陰謀論でイランを警戒する人も少なくありません。

今日のアハラーム紙は、アフマディネジャドの単独インタビューを掲載しています。その内容はなかなか度肝を抜かれるもので、その中でも驚愕したのは、

「イランはもう既に、核国家دولة نوويةとなった」

という一言です。彼によると、IAEAを中心とする西側諸国は、イランを核国家にさせまいとして努力をしてきたが、もうイランは核国家になってしまったので、イランを核を持たないかつてのイランに退行させることはもはや不可能だ、とのこと。

インタビューは非常に長いのですが、要するに、

「イランを先進国と認め、先進国として処遇せよ」

ということのようです。イランが先進国であることの証が、核開発であり、先日の宇宙から生還した猿である、とのことです。

また、彼は「未来に対しては、私は非常に楽観的だ」と言っており、アメリカは5年か10年のうちに覇権国家の地位から転落すると信じている、とも言っています。

うーん。誇り高き、ペルシア人・・・。

エジプトに対しては、「エジプトもイランも、世界文明の担い手。中東の重要な軸だから、仲良くしていこうね。それにイランは生産業も農業も観光も何でも発展しているから、エジプトには何でも教えてあげるよ。どんどん頼っちゃって。」的なもの言いで、何と言うか・・・上から目線?

イランのことは全然わからないし、ペルシア語も全然わからないのですが、アハラームのインタビューから、アフマディネジャド・・・もとい、イランのメンタリティーがほんの少し垣間見えたような気がしました。

02

06

コメント

アレクサンドリア旅行:観光編

アレクサンドリア旅行:ホテル編に続いて、観光編です。

アレクサンドリア、という名前に惹かれてか、うちへの来客者はみな口をそろえて「アレクサンドリアに行ってみたい」と言うのですが、私は正直、アレクサンドリアに関しては、そんなに・・・ねぇ?という風に思っています。

別に悪い街というわけではありませんが、カイロから車で3時間、4時間かけて行くほどのところかなぁ?と聞かれたら、そうでもないかも・・・と答えます。

もちろん、是非行ってみたい!という方に対しては、行かれることをおすすめします。

アレクサンドリアは二年くらい前に「アレクサンドリア」という映画が公開されて、それでまた少しメジャーになったようなのですが、古代アレクサンドリアの痕跡は、現在のアレクサンドリアには殆どみてとることができません。

映画の題材にもなったアレクサンドリア図書館も、焼失してしまったため、現在は跡形もありません。その近くには、2002年に新しいアレクサンドリア図書館がオープンしました。

DSC_0485.jpg

こちらは、入場券を買って中に入ったのですが、その中の図書館エリアに入ろうとしたら、「6歳以下の子どもは見学できない」とか言われ、あえなく終了〜。っていうか、そういうこと、もっと前に言ってくれ!!入場料かえせ〜!!

また、アレクサンドリアといったら、何と言ってもまずは地中海。

DSC_0308.jpg

海沿いにはアレク住民がたくさんいるのですが、一部おじさんたちがものすごく群がっているところがありました。

DSC_0294.jpg

何かと思って近寄ってみると・・・

DSC_0299.jpg

地引き網(?)を漁師たちが引き上げているところでした。

え・・・?アレク的には普通の光景じゃない?・・・なんて思うのですが、おじさん達はものすごく楽しそうに、みんなで眺めていました。

漁師たちは、網の中からゴミと魚を選別していきます。

DSC_0300.jpg

この辺、さすがエジプト・・・という感じ。

あとは、お約束のカイトベイの城塞。

DSC_0312.jpg

ここはプレスカードがあると、無料で入れます。・・・なんで?という感じですが、「ああ、メディアの人ね!ようこそ!」なんて歓迎してくれました。

ここから、ちょっと海に出てみよう、なんて誘われて、ボートに乗ることに。

ボートっていっても・・・

DSC_0419_20130206164631.jpg

こんな風に手漕ぎです!おじさん(お兄さん)、手漕ぎボートで、ぐんぐん地中海に乗り出して行きます!

うちの主人は泳げないので、娘は私が助けるとして、もし転覆したら終わりだな・・・なんて結構びくびくしました。海へ手漕ぎボートで乗り出したのは、生まれて初めてです。

カイトベイの城塞が、海からだとこんな風に見えます。

DSC_0443.jpg

海辺ではおじさんたちが釣りをしたり・・・

DSC_0462.jpg

ピクニック(?)をしたり・・・

DSC_0461.jpg

さらに、カイトベイの外から、馬車にも乗りました。動物大好きな娘が喜ぶかな〜なんて思ったのですが、案の定、大興奮。

スライド3

猫がむっちゃたくさんいたり・・・

DSC_0366.jpg

魚の市場があったり・・・

DSC_0375.jpg

アレクサンドリアで一番古いモスク(アブールアッバース・モスク)があったり・・・

DSC_0396_20130206164826.jpg

馬車に乗っていると、車で通るのとはまた違った光景が見える(感じとれる)ように思います。

ランチは、Fish Marketへ。かなりの大箱で、レストランやトイレはすごく清潔にしてあり、そういう意味ではおすすめです。

ここのFish Rice (Seafood Rice)がものすごくウマい!と友人に勧められたので、注文したのですが・・・

DSC_0480.jpg

うーん・・・な味でした。パサパサしたドライカレーみたいな味で、シーフード感はゼロ。他には、魚やらイカやら頼んだのですが、全体的にお味は・・・でした。残念。唯一、そこで焼いているイーシュ(アエーシュ)はおいしかったですが、魚料理屋でパンだけがおいしいって、シャレになってません。

こちら、イカのフライ。

DSC_0478.jpg

味はまあ、ふつう、です。前にアレクにきたときには、これまた有名店のカッドゥーラという魚屋に行ったのですが、そこも・・・でした。

日本人がアレクに行っても、感動するような魚料理には出会えないのではなかろうか・・・?と私個人としては思っています。

エジプトではアレクは、魚がおいしいことで有名なのですが・・・。

古代アレクサンドリアの風は全く感じませんでしたが、雲ひとつない晴天で、公園やホテルでのんびりしたりし、ちょっとした休息がとれたので、まあよかったかなーという感じです。

02

06

コメント

アレクサンドリア旅行:ホテル編

二泊三日でアレクサンドリアに行ってきました。土曜の朝7時にカイロを出発したところ、途中休憩をはさんでも10時にはホテルに到着していました。

アレクにくるのは、6年ぶり(?)くらいです。今回、宿泊したのは「ヘルナン・パレスタイン・ホテル」というところ。モンタザ宮殿の敷地内にある、地中海に面したホテルです。

外観は、こんな感じ。

DSC_0166.jpg

今の時期は、閑散期なので、ビーチは閉鎖されており、海に近づくことはできません。残念。アインソフナは冬でもビーチで遊べるので、私としてはこの点でアレクはマイナス。

ロビーはこんな感じ。

DSC_0147_20130206163720.jpg

エジプトにしては珍しく、チューリップで飾られています。

部屋はこんな感じ。

DSC_0153.jpg

ふつーです。装飾はエジ風ですが、ソフナのステラなどに比べると少し豪華です。一応五つ星らしいのですが、あくまでエジ水準の五つ星、という感じです。

部屋からは地中海が一望できます。

DSC_0494_20130206163727.jpg

この湾曲した感じがハワイのワイキキビーチを彷彿・・・させませんが、ハワイに行きたくても行かれない現状では、ここがハワイ風だ!!と思い込みたい心境・・・(哀)

モンタザ宮殿の敷地内は、全体が公園になっていて、カイロでは滅多にみられない芝生が敷き詰められています。

猫ちゃんも気持ちよさそう。

DSC_0221.jpg

娘は猫にからみまくって、ごきげんです。

DSC_0199.jpg

夜は、小規模な結婚式をやっていました。娘が新郎新婦にさらわれます(お約束)。
スライド2
私たちは、朝と夜のビュッフェ付きの宿泊コースで、2人(3人)一部屋890ポンド(1万円程度)というものを選んだので、朝食も夕食もホテルでした。

朝食ビュッフェはこんな感じ。

DSC_0274.jpg

レストランはこんなです。

DSC_0279.jpg

雰囲気はまずまずですが、朝食はかなりマズい・・・というか、平均的エジプト水準です。いやぁ・・・エジプトのホテルのビュッフェには、決して期待してはなりません。まあ、この値段だし・・・。

夕食は別の場所でのビュッフェで、初日の夜は本当にマズいものばかりでかなり悲しかったのですが、二日目の夜はそこそこ食べられるものがあり、少しポイントがあがりました。とはいえ、少し、ですけど。

また、夕食の時、2歳の娘が「マカルーナ(マカロニのこと)が食べたい!!」とアラビア語(エジプト語)で言っていたら、シェフが気づいて、「じゃあ、オレが作ってあげよう!ちょっと待ってな」なんて言って、リクエスト通りのクリームソースのマカロニ・マッシュルーム入りを作ってくれました(サービスで)。

これはポイント高し。ありがとう、シェフ!

このホテルは難もあって、たとえばカイトベイの城塞などからはものすごく離れていますし、あとレストランやバーなどのチャージがなかなか高級で、ちょっとでも椅子に座っていると「おい、そこに座るなら55ポンド払え!」みたいに言ってきて、感じが悪い、なんてこともありますが、既述のように、よいところもちょいちょいあります。

私たちのような子連れには、敷地内の公園で子どもを遊ばせられるところが、やはりポイント高し、と言えるでしょう。遊具がある場所もあって、そこではエジプト子どもが群れをなして(?)遊んでいるので、気軽に(?)とけ込むことができる・・・はず。

また敷地内にはマクドナルドなどもあって、ここのマクドナルドはかなりきれい&雰囲気グッド、でした。カイロのマックなんかより、ずっと感じがよかった・・・のは気のせい?

全体としてヘルナン・パレスタイン・ホテルは、まずまず、といったところです。

アレクサンドリア観光:観光編へ続く

プロフィール

Author: 飯山陽
イスラム思想研究者。専門はイスラム法。都内の大学でイスラム思想を教えていましたが、現在はエジプトのカイロ在住、メディアの仕事をしています。
イスラム国に関しては別ブログ「どこまでもイスラム国」をご覧ください。

メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

カウンター

アクセスランキング

[ジャンルランキング]
海外情報
253位
アクセスランキングを見る>>

[サブジャンルランキング]
中東
7位
アクセスランキングを見る>>

ブログランキング

検索フォーム

ブロとも申請フォーム

QRコード

QR

Designed by

Ad

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。