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エジプトのインターナショナルスクールの実情

先日も書いたように、今月から3歳の娘がカイロにあるブリティッシュスクールに通っています

その名もCairo British School。そのまんまです(笑)。略してCBS。

毎日、CBSとでっかく書かれた制服を着て、家の前まで迎えにくるスクールバスに乗って登校する娘。

このお迎えの時間がむちゃくちゃで、早い時には7時、遅い時には7時45分に迎えに来ます。到着の5分前に携帯に電話をくれるのですが、7時きっかりに電話をかけてきた時にはかなり焦りました。

学校では、「お迎えは7時40分です」と言われていたのですが。。。

というわけで、7時にはスタンバっていなければいけない状況下にあります。

さすが、エジプト。

エジプトの学校事情についてはこちらにも書きましたが、娘はKG1というクラスに入っています。

最初にCBSに見学に行った際、校長先生は「うちの学校では20カ国以上の国籍の子ども達が学んでおり、日本人の優秀な生徒もいます。先生も全員、英語を母国語とするイギリス人やオーストラリア人です。」と堂々と語っておられましたが、学校が始まってみるとなんだか様子は大分違うらしいことが判明してきました。

まず、先生。

政変前は、確かにイギリス人とオーストラリア人の先生しかいなかったはずなのですが、娘の担任の先生に面会に行ったところ、「・・・あれ?エジプト人???」という風貌。

先生に、「お名前は・・・?」とうかがうと、「ミス・アマールです」とのこと。

アマールって・・・?

「失礼ですが、エジプト人ですか?」と聞くと、「いいえ、父はエジプト人ですが、母はイギリス人です(キリっ)」とのお答え。

うーん・・・。想像するに、政変とその後の混乱と治安悪化で、在エジプトの大多数の外国人が退避した時に、ここの先生たちの中にも退避した人がいて、欠員が出たのでエジプト人(?)の先生を新たに雇用したのではないかしら・・・?

まあ、私はハーフでもエジ人でも、娘にとっていい先生ならばそれでいいのですが・・・。

更に、ミス・アマールの持っていたクラスメイトのリストを横からちらっとみたところ、15人の名前の横には、ずらーーーーーーーっと、Muslimと書かれています。そして、我が娘のところにだけ、Buddistの表示。

15人のうちの1人は、娘の友達のシリア人で、CBSはモハンディシーンにあるから嫌だといって土壇場で学校を変えてしまった女の子。残り14人のうち、ほとんどがエジプト人です。

これって・・・

Cairo British Schoolじゃなくて、Cairo Egyptian Schoolの感じですよね・・・(苦笑)。

このところ、娘が学校の友達の名前をちらほら教えてくれるようになったのですが、昨日教えてくれた名前は、

فروق   ファルーウ
معاز الدين  ムアーズッディーン
حمزة  ハムザ

・・・って、全部エジプト人じゃん?! 

しかも、全員男の子だし・・・(汗)。

どうなってんだか・・・。

まあ、とにかくいるのはエジプト人ばかりのようなのですが、カリキュラムはなかなかしっかりしているようです。

英語やアラビア語の授業の他、絵を描いたり、好きなものについて語り合ったり(?)、工作をしたり、外で体を動かす時間もあります。

毎週一冊英語の本を借りて来る制度があって、うちで読みます。

今度は観劇にも行くそうです。

週末には、週ごとの成績表ももらってきます。

先週の成績には、「ウイはよくやっているが、もうちょっと人の話をしっかり聞かないといけない」とありました・・・(汗)。

また先週末には、娘が突然、謎のぬいぐるみを持ち帰って来て、これはキャミーという名前で、女の子なんだ、と説明してきました。

何のことかと思ったら、連絡ノートに、キャミーはクラスのマスコットで、毎週クラスメイトの誰かのうちに遊びに行くので、その様子をジャーナルに記録してください、とのこと。

というわけで、

DSC_0001_2013093021114508f.jpg

こんな風に、書いてみました〜。

一緒にご飯を食べたり、お料理をしたり、プールに行ったり。

まあ、娘の日常そのまんまですが・・・(汗)。

毎日何かしらあれこれ書いたりするのと、何と言ってもお弁当とおやつを毎日もたせるのは多少面倒ではありますが、娘も楽しそうですし・・・

インターではなく、エジプシャン・スクール風であっても、まあいいんじゃないかと思っています(笑)。
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09

30

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アルカイダと同胞団の共闘?

あまり知られていないかもしれませんが、エジプトはテロとの戦いの最前線のひとつです。

エジプト軍は現在、シナイ半島でテロリスト掃討作戦を展開しており、昨日は8カ所の隠れ家、3カ所の地下倉庫、5カ所の地下トンネルを破壊し、テロリストを13人拘束、うち3人はハマス、もう3人はアルカイダのメンバーだった、とのことです。

ムスリム同胞団が政権をとっていたころは、どの新聞においても、どの識者も、「エジプトにはアルカイダはいない」とか、「思想的にアルカイダに毒された人はいるが、アルカイダ組織やメンバーはいない」と口を揃えて言っていたのですが、7月の政変以降は、今度はみんなが口を揃えて、「エジプトにアルカイダはいるっ!!」と力強く断言するようになりました。

なんなんでしょうね、この変わり身の早さは・・・。

様々な記事を総合してみるに、これは別に最近になって急にアルカイダがエジプトに進出してきたというわけではなく、前々からいたんだけど、同胞団時代には報道規制があって、アルカイダがいる、とか言えなかったんだよね、ということのようです。

しかも単に、同胞団は、アルカイダがエジプトの地を蹂躙しているということを、国民に知られたくなかったというだけのことではなく、同胞団がアルカイダと共闘する意図を持って、かなり積極的につながっていたという証拠や証言も、あちこちから出て来ています。

例えば、昨日UAEのメズマー研究センターというところが発表した報告書によると、エジプト軍は現在実施しているテロ掃討作戦において、ムスリム同胞団のメンバーと、様々なテロ組織と、モルシ前大統領の諮問官らとの間でかわされていた秘密文書や証拠を多数入手した、とのことです。

アリー・マイサル・アブドゥッサイイド・ターハというタクフィール組織のリーダーが先日拘束されたのですが、彼のもとからは多数の携帯電話が押収され、それらにはモルシ前大統領の補佐官であるイマード・アブドゥルガッフールや、諮問官であるアイマン・ハドハド、アスアド・シェーハらの電話番号が登録されていたそうです。

筋によると、同胞団は政権について以降、シナイ半島とスエズの通行許可権を完全に掌握、爆弾を作る材料になるTNT火薬を0.5トン入手し、爆弾を作る訓練をうけたアルカイダのメンバーを多数エジプトに入国させた、とのこと。そして、なんとまあ、彼らは大統領府に所属する車に乗せられてシナイ半島に行き、ハマスの傘下に入ってせっせと爆弾を作っていた、とも報告されています。

筋はまた、エジプト軍の押収した書類には、同胞団副団長でロンドン在住のグムア・アミーンと、同胞団国際部長でイスタンブール在住のイブラヒーム・ムニール、ガザにいると思われるマフムード・エッザトらの交信記録も含まれているとしています。

相変わらず、この手の話は、何がどこまで本当なのかさっぱりわからないのですが、大統領府の車にのってアルカイダがシナイ入りし、そこでハマスとせっせと爆弾を作ってるって・・・同胞団はまだまだ、エジプト政府と正面きっての武力衝突を画策しているということでしょうか?

シナイ半島以外のエジプト各地では、いまだに同胞団員がデモをしたり、大学で他の学生と衝突したり、交通を麻痺させようと地下鉄ジャックを試みたり、なんだかもうかなりグテグテな感じであれこれとやっているのですが、指導部の機能はどうなっちゃったんですかねえ?

同胞団は、軍隊的な上意下達組織ってことになってるはずなんですが・・・

武装作戦と市民運動と、二本立てで行きましょう、ってことになってるんでしょうか?

更にはこんな、同胞団支持を表明する「ラービア・グッズ」が売り出されたりもしていて・・・

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どっちの方向に向かおうとしているのか、さっぱりわかりません。

先週、裁判所が同胞団のあらゆる活動を禁じる判決を下したのですが、今後の展開からまだまだ目がはなせません。

09

24

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ケニヤのショッピングモール襲撃事件に思う

9月21日ケニヤの首都ナイロビにあるウェストゲートという名のショッピングモールが、武装集団によって襲撃され、モールは未だ完全には解放されていない状態にあります。

赤十字によると、死者は少なくとも62人。その中には、イギリス人6人、フランス人2人、カナダ人2人、インド人2人、中国人、韓国人、南アフリカ人、オランダ人1人ずつが含まれています。

ウェストゲートというのは2007年に開業したイスラエル資本のショッピングモールで、欧米やイスラエルのショップが軒を連ね、銀行やレストラン、カジノ、シネコンなども併設した、ナイロビきってのモールのようです。

犠牲者の中に、ケニアのケニヤッタ大統領の親族やカナダ人外交官が含まれていたことにもみられるよう、ケニヤの富裕層や外国人の高官も利用する場所であったとのこと。

特に在ナイロビの外国人にとっては、「ウェストゲートしか買い物に行く場所がない」という感じのところだったようです。

現状で犠牲者の中に日本人が含まれていないことは、奇跡的なことです。

私はこの事件を知った時、とても他人事には思えませんでした。

というのも、このウェストゲートが、どうしてもカイロにある大型ショッピングモール、シティースターズと被って思えてしまうからです。

欧米ブランドのショップやレストラン、シネコン、銀行などが入り、外国人が安心して行くことの出来る数少ない場所のひとつであるという点において、ナイロビのウェストゲートとカイロのシティースターズは共通しています。

在ナイロビの日本人がみんなウェストゲートに行くように、在カイロの日本人はみんなシティースターズに行きます。観光客も訪れたりする場所でもあります。

なんでこんなところを襲撃したんだろう・・・?という疑問に始まり、私がいるときにシティースターズがイスラム武装勢力によって襲撃されたらどうすればいいんだろう・・・?どこかに隠れるっていっても、娘と一緒だったら絶対無理だな・・・といった具合に、悪い方へ、悪い方へと想像は突き進みます。

なんでショッピングモール?という疑問については、以下のインタビューで回答されています。

ーーー以下、アッシャバーブの軍事作戦報道官シャイフ・アブールアズィーズ・アブームスカブのインタビューーーー

Q ケニアがソマリアに派兵し、シャバーブと戦闘をしてからもう2年がたつというのに、なぜ今このような攻撃をケニアに対してしかけたのか?

A ナイロビ攻撃が遅れたのは、これまで彼らが我々の攻撃を予測してきたからだ。我々の目的は、敵が予測していない時に敵を攻撃することであり、今回敵は油断しており、攻撃には好機だった。

Q 今回の攻撃は、シャバーブにとって初のナイロビ攻撃だったのか?

A  これまでに我々がナイロビを攻撃したかどうかは重要ではない。重要なのは、現在我々が攻撃を行っているということのほうだ。

Q ウェストゲート・モールは、攻撃が開始された時、多くの買い物客でにぎわっていたが、なぜシャバーブは一般市民が多くいる場所を狙ったのか?

A ウェストゲート・モールは、世界各国からの観光客や外交官らが集う場所であり、ケニアの意思決定を行う者達がリラックスし、楽しむためにやってくる場所でもある。またユダヤとアメリカの店が集まる場所でもある。だから我々は攻撃したのだ。市民の死者についてはまず、ケニアに対し、なぜソマリア市民達の難民キャンプに爆弾をおとしたのか、なぜゲドGedoとジュッバJubbaの無辜の市民を爆撃したのか、質問するがよい。我々が答えるのはその後だ。

Q シャバーブは今回の攻撃はムスリムと特にソマリア人のためだとしているが、本当にそうなのか?

A 歴史が我々の主張を支持するだろう。我々はソマリア人とソマリアを守り、ソマリアの歴史的敵と戦う唯一の存在である。我々だけがソマリアの敵に対して、「NO」と言えるのである。犠牲者の中には我々の戦士に銃口をむけたケニア軍人も含まれており、そこでは銃撃戦があったため、彼らを殺したのが我々の銃弾であったかどうかは証拠がないのでわからない。我々はモールを支配する前にムスリムを逃がした。そのことは目撃証言もあるだろう。

Q 今回の攻撃で、ケニアはソマリアから軍を撤退させると思うか?

A それに答えるのは我々ではなく、ケニア政府だ。それは彼ら次第だ。もし軍を撤退させないならば、こうした攻撃はケニアでは日常的なものになるだろう。ケニアの様々な街で、毎日こうした攻撃が発生するようになる可能性もある。

Q 2011年10月にケニアがソマリアに派兵する前は、シャバーブとソマリア政府の関係はどのようなものだったか?

A 我々はケニアがソマリア人の敵だという事をずっと以前から知っているし、ケニアが我々の地に侵攻してくることを予期していた。我々は彼らを信用していない。

Q ケニア政府は、今回の加害者を最後まで追いつめると言っているが?

A 我々は加害者ではなく、我々の、そしてソマリア人の権利を防衛しているだけだ。今日、ケニアのケニヤッタ大統領以上の最悪の犯罪者など存在しない。ケニヤッタは自分が大統領選に出馬するさいに、何千人もの人を殺害したことを棚に上げて、数十人の人がモールで殺されたと言っている。もしケニア人達が犯罪者を糾弾したいならば、まずはケニヤッタに責めを負わせるべきだ。

Q ソマリアやケニアの政府の人々のなかには、シャバーブが市民を攻撃対象としたのはシャバーブの弱体化の兆候だとしているが?

A 我々を裁こうとしている者たちの方こそ、弱い者たちだ。彼らの弱さは白日の下にさらされている。ソマリア政府は戦車で守られているし、ケニヤもウェストゲートといった小さいことですら、外国に頼っている。彼らは西洋に支援を求めている。

Q ケニアがテロ組織として指定しているMonbasa Youth Centre(MYC)とシャバーブとの関係は?

A 我々の関係はムスリム同士というだけの関係だ。彼らは我々のイスラムの兄弟であり、イスラムは我々の共通項だ。

ーーー以上、インタビューおわりーーー

今もエジプトでは、各地で武装勢力による攻撃が散発する状況にありますが、今の所、彼らが攻撃対象としているのは、軍や警察、政治に関わる人や場所であり、一般市民を大々的に攻撃するといった暴挙には出ていません。

しかしエジプトにも、武装勢力が観光客や盛場、ホテルを攻撃対象としてきた歴史があります。1997年にルクソールのハトシェプスト葬祭殿前で発生したテロ事件も、そのひとつです。

今はその時以上に、数えきれないほどの過激派組織がエジプト国内で活動し、組織も国際化してきています。

彼らがいつ、攻撃対象を治安や政治関係以外の一般市民や外国人へと変えてくるか、それは誰にもわかりません。

カイロならば、シティースターズの他に、フランス資本の大型スーパーであるカルフールなんかも攻撃対象になりそうな気がします。

ちなみに、シティースターズもカルフールも、私がよく行く場所です・・・。

カルフールが危ないから行かれないとなったら、私はいったいどこに買い物にいけばいいんだろう・・・???っていうか、危ないから一歩も家の外に出るなってことですかっ???

・・・なんてついつい、思ってしまいます。

というわけで、ケニヤの事件はエジプト在住者にとっても、全く他人事ではないのです・・・。

09

23

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娘の学校入学

娘が学校に入学しました。

当初の予定から2週間遅れ、9月15日に始業の日を迎えました。

治安悪化を理由に、エジプト政府が国内のインターナショナル・スクールは15日、公立学校は22日を始業日とせよ、という命令を下した為です。

私たちも6月末から、反同胞団大規模デモ→政変で同胞団政権崩壊→治安悪化→ロンドンに退避→エジプト帰還、とめまぐるしい日々を送ってきましたが、ようやく普通の日常らしきものがもどってきた、という感じです。

晴れの日に、娘の写真を撮るうちのスタッフ(笑)。

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ダサい制服ですが、3歳児を大人っぽく見せる不思議な効果があります。

入学・・・とはいっても、日本的な入学式はないので、朝迎えに来たスクールバスに乗って、娘が行ってしまった・・・という、ただそれだけのことなのですが。

初日には、学校からこんなものをもらってきました。

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こんなちょっとした心遣いでも、「なんかいい学校だなー」なんて思ってしまいます。

3歳にして学校・・・?という感じですが、エジプトでは3歳半から学校に通うのが普通です。娘は少しそれに満たない状況での入学なので、クラスでは一番年下です。

クラスは全部で14人、エジプト人がほとんどで、あとはサウジ人とかポーランド人なんかがいるようですが、日本人および仏教徒は娘1人だけです。

学校なので時間割もあって、授業らしきものもあります。

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娘の話によると、基本は遊んだり、歌ったり、踊ったり、走ったり、絵を描いたりしているそうなので、まあ、遊びを通していろいろ学ぼう、みたいな感じなんでしょうか。

週末には、成績表(?)ももらってきました。

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娘にとっては、人生初の成績表。

「態度:よい」

「努力:すばらしい」

とのことで、言うことなしです(笑)。

この学校はブリティッシュスクールで、カリキュラムは英国式らしいのですが、こういう感じは悪くないなと思います。私は日本の幼稚園を知らないので、比較はできませんが。

あと私にとって嬉しかったのは、娘が毎日学校に行きたがることと、お弁当を全部残さず食べてくることです。

今まで2年間通っていたナーサリーを卒業して、新しい環境でストレスも多いだろうと思うのですが、楽しく元気にやってもらいたいものです。

09

10

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過熱する「非暴力同胞団」の同胞団批判

先日言及した「非暴力同胞団إخوان بلا عنف」による同胞団批判が、このところますます過激化してきています。

正直、非暴力同胞団に関しては、これまであんまり興味が持てず「こんな人たちもいるな」程度にしか考えていなかったのですが、今日のエルマスリ・エルヨウムの記事を読んで、度肝をぬかれました。

公式報道官のフセイン・アブドゥッラフマーンという人がインタビューに応じているのですが、その中で氏は、

「同胞団指導部のメンバーたちは、アンサール・バイトゥルマクディスと頻繁に連絡をとりあっていた。同胞団の副団長であり現在も行方不明とされているマフムード・エッザトは特につながりが深く、アンサール・バイトゥルマクディスの執行部のメンバーでもあった。彼が今、ガザに身を潜めていることだろう。今回の内相暗殺事件の、間接的な責任者は、エッザトだと言ってよい。」

と言っているのです。

え・・・?!

こんなこと、言っちゃっていいんですか?!

アンサール・バイトゥルマクディスは、5日の内相暗殺未遂は自分たちがやったものだと犯行声明文を発表している組織で、同胞団とのつながりが深いとあちこちでウワサされているのですが、この種の内部告発もあるとなると、やはりある程度は本当なのかと思えてきます。

マフムード・エッザトというのはバディーウ団長時代の副団長で、ゴリゴリの武装闘争派なのですが、バディーウの逮捕後、暫定団長に就任したとかしていないとか言われている人です。まだ当局に逮捕されていない、ごくわずかな同胞団指導部の1人でもあります。

エッザトがガザに逃げて、アンサールなんとやらというジハード組織に合流してエジプト当局を攻撃するって・・・あまりにみんなの想像通りすぎて、なんだか出来過ぎな気もしますが、かといって絶対ないとも言い切れない・・・。

一方、非暴力同胞団ですが、こちらは設立したのが元同胞団員のアフマド・ヤヒヤー氏。

共和国防衛隊前の事件をきっかけに離反、同胞団政権が失敗に終わった責任は、バディーウ団長と同胞団指導部にあるとして、約500人の若手同胞団員とともに同組織を設立。

彼のインタビューはこちら

非暴力同胞団は、同胞団のラービアでの座り込みにも反対していたのですが、彼らが告発している同胞団の悪行の中でも私が特にびっくりしたのが、「ジハード婚 نكاح جهاد」についてのものです。

いわく、「ラービアの座り込み現場では、女性同胞団員が男性同胞団員にジハード婚を強制され、断った女性に対してリンチが行われている」とのこと。

ジハード婚というのは、ムスリムである女性に対し、男性ジハード戦士のために身を捧げ、それをもって女性のジハードとせよ、という考え方のこと。法学的にはもちろん、異論のある説です。

非暴力同胞団が調査したところ、ラービアでは76件のジハード婚が行われた、とのこと。

その他にも、同胞団はエジプト全土を火の海にしようとしているとか、スィースィー将軍を暗殺しようとしているとか、いろいろと告発しています。

また、内相暗殺未遂についても先に、「悪いのは同胞団指導部、特にベルターギーと、アリヤーンと、エッザトと、ウサーマ・ヤスィーン」という声明文を発表していました。

何でもありありすぎて、訳が分からなくなってきました。。。

これは同胞団との完全な決別(?)なので、この人たちのもとに同胞団員達が改めて結束するとか、絶対無理な気がしてきました・・・。

09

08

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同胞団とテロ組織の関係

先日起こった内相暗殺未遂事件について、エジプトのメディアは直ちに、かつ、一斉に、「同胞団がやった!!」と決めつけ、いくらなんでもそれは・・・と思っていたのですが、今日の各紙はそれを裏付ける(?)記事を掲載しています。

こちら、エルマスリ・エルヨウム。

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こちら、ワタン。

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こちら、アハラーム。

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エジプト紙らしく、挙げられている人数などは各々で異なっているのですが、とにかく暗殺未遂の容疑者たるジハード主義者たちがが既に複数挙げられており、そこにはいろいろな国籍の人が含まれており、中にはハマスに属するパレスチナ人が含まれている他、アルカイダも関与しているという点は共通しています。

アハラームは、ラワーウ氏という治安戦略専門家(?)の話を掲載しているのですが、この人によると、同胞団とテロ組織の関係は1970年代からずっと続いていたのであり、その何よりの証拠は、モルシ大統領が就任直後からテロ容疑で投獄されていたジハード主義者たちを次々と釈放したことである、とのこと。そしてこれは、「ジハード主義者たちの釈放と引き換えに、モルシ政権がエジプトでの地盤を強化するため、戦略的にアメリカに近づくことを認めるという、同胞団とジハード組織との取引だ」、とも述べています。

また同氏は、アルカイダはあるジハード組織指導者に、エジプトの重要人物たちを暗殺するためのジハード訓練をリビアで行うよう委任し、同胞団はそこに資金提供していた、とも述べています。

何がどこまで本当なのか、さっぱりわからないのですが・・・。

地元メディアの主導もあるのでしょうが、現状では「同胞団憎し」のエジプト人が多数を占め、彼らの殆どが今回の内相暗殺未遂も同胞団の仕業だと信じているようです。

同胞団は近く解散命令が出されると発表されていますが、その場合に残された同胞団員たちがどのような行動にでるのか・・・平和路線に収束するのか、政治的野望は捨てきれるのか、分裂して一部武装闘争に走るのか、デモは継続するのか、武器を所持した同胞団員たちの抵抗はいつまで続くのか・・・わからないことだらけですが、拘束した同胞団員の処遇だけではなく、残された同胞団員たちをどう処遇していくかが、今後のエジプトの情勢を大きく左右するだろうことは間違いありません。

一部の非暴力を掲げる同胞団グループは、残された同胞団員の全てをまとめきれるほどの力はまだなさそうですが、どうにか軟着陸をはかれるよう、彼らの動きにも期待したいと思います。

09

08

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幼児婚をめぐる議論

たまには政治ネタから離れて、社会ネタを。

エジプトを今騒がせている問題のひとつが、ある少年と少女の結婚問題です。

当事者はこちらの2人。

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右側が新婦のイーマーン(10歳)、左側が新郎のシャムス(13歳)です。フェイスブックに2人の婚約式のビデオがアップされてから話題になり、「子どものための国民評議会」がこれを「エジプトの法律と子どもの人権に反する」行為として批判しています。

ワタン紙は、この二日後に、新郎新婦の父親を訪問、さらに掘り下げた記事を掲載しています。

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右下が新郎の父、左下が新婦の父です。

婚約式を行った際、新郎のシャムスッディーンは中学1年生の13歳、新婦のイーマーンは小学校4年生の10歳で、式には数百人の参列者があったそうです。

弁護士や人権団体らの批判に対し、新婦の父は、「これは単なる婚約式。我々は法律に反するようなことは一切していない。あくまでも二人が成人した後で結婚(床入り)を行う予定だ。」と反論しています。

イーマーンにはお姉ちゃんもいて、お姉ちゃんは彼女より小さい7歳で婚約し、今は13歳になったけど、まだ結婚には至っていない、とのこと。シャムスのお父さんとは昔からの友人であり、イーマーンへの婚約の申込があったので、一も二もなく賛成したそうです。

シャムスの父も、「婚約を禁じる法律など全くないから、我々は法を犯してなどいない。預言者ムハンマドは9歳のアーイシャと結婚(床入り)をしたし、『できる者は結婚せよ』とおっしゃっているではないか。」と述べています。

「人権団体だかフェイスブックだか知らないが、人がいくら我々の悪口を言っても、一切我々の意に介さない。我々は自分たちの信じることを行っているだけだし、子ども達を立派に育てた自信がある。」とのこと。

式およびインタビューの映像もありました。


 
両者のお母さんたちも、何より新郎新婦たち自身が婚約したことを「嬉しい」と言っていますし。

ワタン紙が書いているように、「この二人の婚約を禁じるとか、やりすぎじゃない?」という気が私もします。

エジプトには、自由恋愛をして結婚する人も確かにいます。

しかし、親が決めた婚約者同士で子どもの頃から付き合いを深め、成人してから結婚するというやり方を、やれ自由がないだの、子どもの人権侵害だのと一方的に批判するのは、私個人としては全くしっくりきません。

好きでヒジャーブ被っている女性に、「お前は自由を奪われている」とか、「自由を奪われていることに気づいていないだけだ」とか言って批判する、あの感じです。

世界では、親が借金のかたに幼い娘をじいさんに嫁がせるようなかたちの幼児婚も、確かに行われています。イスラム世界ではそれが、預言者ムハンマドとアーイシャ9歳時の床入りのハディースによって正統化されることもよくみられます。

私はよく、なにかについて考える時に、「私がその人だったら・・・」と立場を変えて考えることにしているのですが、カネのためにじいさんに無理矢理嫁がされるのは絶対に嫌ですが、両親に認められた幼なじみと早くに婚約し、そのまま結婚するというのは、「そういうのもステキだな」と思います。

イデオロギーの一方的な押し売りは、どんな問題に関しても気持ちの悪いものです。

09

05

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内相暗殺未遂事件

今日10時半ころ、ナセルシティのムスタファ・エンナハース通りで内相の乗った車列を狙う爆発が起こりました。内相は難をのがれましたが、重傷者を含む負傷者が21人出ています。

・・・ついに、きた。

という思いです。。。

非常に残念ですが、「来るべくして来た」、という感も否めません。

ターゲットにされたラワーウ・ムハンマド・イブラヒーム内相自身、「これはテロとの戦いの始まりに過ぎない」と述べています。



彼は今週に入り、自分に対する暗殺計画があること、そこに何らかの外国勢力の関与があることを明かしていましたので、本当に、「来るべくして来た」と思っていた節があります。

エジプトでは昨日もアスワンで警官が射殺されるなど、物騒事件が毎日発生していますが、これまでこうした爆弾系のテロ事件は、少なくともカイロ市内では発生していませんでした。

現場はこちら(BBCから拝借)。

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ナセルシティというのは、軍や治安関係機関が多く存在し、また金持ちも多く住む、カイロ空港手前の地区であり、同胞団が長らく座り込んでいたラービアのある地区でもあります。

内相の車列も厳重な警備がひかれていましたが、それでもなお発生した今回の暗殺未遂事件。

爆弾は、車爆弾だったとも、仕掛け爆弾だったとも言われていますが、「非常に高度なテクニックを用いたもの」であるなんて述べている専門家もいます。

保健省は21人が負傷し、中には重傷者も含まれていると発表しています。内相は、脚に重傷を負った子どもがいるとも述べており、別の筋では負傷者のなかに英国人女性観光客がいるともされています。

治安施設は現在も軍が厳重警戒にあたっていますが、治安関係者の自宅や通勤路とまでなると、もはやどこに気をつけて生活をすればいいのやら、全然わからなくなってきます。

エジプトの非常事態令と夜間外出禁止令は、13日で1ヶ月を迎えますが、こんなことが起こってしまっては、少なくとも非常事態令はしばらく継続すること間違いなしです。

テロとの戦いの前線が、シナイ半島だけではなくカイロ市内にまでおよんでしまうとは・・・イエメンのサヌアの話を聞いているかのような錯覚に襲われます。。。

09

04

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モハンディシーンの憂鬱

このところ、私がもっとも気になっていることのひとつは、モハンディシーン地区حي المهندسينのことです。

モハンディシーンというのは、ナイル川をはさんでカイロの西側にあるギザ県の地区名なのですが、実際にはここも「大カイロ」とよばれる地域の一環です。

ここには娘が9月半ばから通うことになっているインターナショナルスクールがあるのですが、この数ヶ月間、この地区が大カイロで最も物騒な場所のひとつになってしまっています。

私がカイロに戻る前日の8月30日(金)にも、モハンディシーンで発生したデモに対して治安部隊が催涙ガスを使用、大カイロではここが最も荒れた場所でした。

それより懸念されるのが、8月28日(水)に正体不明の武装集団が出現、モハンディシーンのエルバタル・アフマド・アブドゥルアジーズالبطل أحمد عبد العزيز通りにある建物から無差別的に発砲した後、治安部隊と激しい銃撃戦になったという事件です。

その時の映像がこちら。



こちらの映像には、地元のおじさんたちが、軍人さんに「奴らはあっちにいるぞ!!」的なことを言っている様子も映っています。



この通りは、以前私が犬に噛まれた(・・・)際にワクチン接種に通ったヴァクセラがある通りで、学校にもほど近い場所にあります。

エジプトでは、まだこうした事件が毎日発生しており、それは十分認識しているつもりなのですが、それが娘の学校のすぐそばとなると、話は全く違ってきます。

しかも昨夜、娘と同じ学校に通うことになっている友達のお母さんから電話があり、「あの日、私モハンディシーンで銃撃戦見ちゃったの・・・」とのこと。ショックすぎて、別の学校に変更することを検討しているそうです。

この犯人らしき人物のひとりは拘束され、どうやらエルヨウム・エッサービウの入っている建物の別の部屋にいるところを確保されたらしいのですが・・・誰???



まだ学校が始まるまで10日ほどあるので、その間はモハンディシーンの治安状況を注視しているつもりですが・・・そもそも、学校といっても娘はまだ小さく、カリキュラム通りに勉強をするわけではないので、焦ったり無理したりして登校する必要性は皆無。

安全第一、です。

しかし気になる・・・。

昨日行われた「軍事クーデター、それこそがテロ」と題する同胞団の100万人デモは失敗しましたが、小規模デモは各地で発生していました。

どうやら彼らは、「クイック・デモ」という新しい戦術をとることにしたようです。

9月2日のエッシャルクルアウサト紙の受け売りですが・・・。

というか、平和的なデモであればいくらやってもよいと思うのですが、とにかく武装集団とか銃撃戦とか、そういうものの恒常的な発生は絶対に妨げて頂きたいものです。

エジプトの警察と軍隊は今、この数年間で例のないくらい全力で「テロリスト」と戦ってくれています。

お願いです、どうか頑張って下さい・・・。

09

04

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アルジャジーラの終焉@エジプト

昨日、裁判所がアルジャジーラのエジプト版生放送局الجزيرة مباشر مصرに閉鎖命令を下しました。

例えば今日のタハリール紙には、こんな記事が掲載されています。

DSCN1109.jpg

アルジャジーラ・エジプトの他にも、ヤルムーク、アハラール25、クドゥス、シャルイーヤといった各局にも閉鎖命令が下されたのですが、その主な理由は、「2013年6月30日の民衆革命以来、諸外国および海外の諸団体がエジプトに対して敵対心を抱くことを意図し、それらに対して、正しくない事実を伝え、ウソの声明や情報を放送したから」とのこと。

6月30日の超大規模な反同胞団デモは、エジプトのメディアではいつの間にか「6月30日革命」と呼ばれるようになっているのですが、アルジャジーラはこれを一貫して「軍事クーデター」と称してきました。エジプトのお上はこれを「ウソ」と断罪しているわけです。

また裁判所は、これらの放送局は、ウソの報道を続けることでエジプト国民とエジプト軍を分裂させ、内戦を引き起こそうと扇動したとも述べています。このウソの例としては、「シリア内戦で亡くなった子どもの写真を、エジプト軍が殺害したエジプトの子どもとして放送した」ことなどが挙げられています。

さらに裁判所は、アルジャジーラを始めとする各局は、偉大なるエジプト国民を犠牲にし、ムスリム同胞団に加担する目的で、事実をねつ造し、真実をねじ曲げ、ウソのニュースを流し続けたのであり、果ては外国軍にエジプトを占領するよう扇動までしてきたのだ、と強く批判しています。

そして特に、アルジャジーラは、多くの人々が「アラブの春」において指導的立場を果たしてきたとして支持して来たにもかかわらず、ウソに次ぐウソをもってそうした人々を裏切り、メディアの尊厳自体を貶めた悪魔である、と非常に強い口調で非難しています。

アルジャジーラについては、6月30日の大規模デモの前後から、イデオロギーはともかくとして、そこから情報を得る為のメディアとしては全く機能しなくなったので、私たちは見るのをすっかりやめてしまいましたが、同胞団に一方的に肩入れするジャジーラの姿勢はエジプト国民の怒りを多いにかい、街中にこんなポスターが貼られるようになりました。

صورة لقناة الجيرة الفاشيه-1

左上に「ニュース捏造人」の文字、真ん中にはジャジーラのマークを爪でひっかき、流血している絵、中央下部には、「銃弾は人間を殺すかもしれない、しかしウソのカメラは共同体を殺す」とあります。

言い得て妙。

最初にこれを見た時、「確かに・・・」と妙に感心したものです。

ジャジーラというのは、開局当時は「ひとつの意見があれば、別の意見もある」というキャッチフレーズが売り文句の、中東初の政府に縛られない汎アラブ・ニュースメディアとして登場し、CNNやBBCとは違った視点で世界のニュースを伝えることを使命とする・・・はずだったのですが。

いつのまにか単にカタール政府の意向を垂れ流すだけではなく、アラブ民衆をカタールの思惑通りに洗脳する道具に成り下がってしまった感があります。

まあ民衆もそこまでアホじゃないわけで、エジプト人の多くは「こんなテレビ見てられるかよ、ケッ!!」とそっぽを向いてしまった訳ですから、果たしてカタールのもくろみは失敗したと言ってよいと思います。

カタールのもくろみは、シリアではまだまだ継続中ですが、エジプトで大失敗をやらかした今、シリア問題はどうしていこうと思っているんでしょうかねえ・・・?

アルジャジーラ本体の方は、今でも同胞団が「反軍事クーデターデモ」継続中というニュースを毎日やっていますが、それがまあ、細い小道みたいなところで数十人の同胞団員が太鼓なんかをならしながら行進している様子を、ものすごく画質の悪い映像で流しており、絵的には、シリア国内でアサド政権打倒を掲げてデモをしている市民達と全く同じ感じで、

「あぁ、ジャジーラはまだまだ、エジプトをシリア化させるという思惑を捨てきれていないんだなぁ」

と思わされます。

こんな事情で、汎アラブニュースの主たるソースは、今のところ私的には、(不本意ながら)アルアラビーヤとなっています。

09

03

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内戦の導師カラダーウィー

同胞団政権崩壊後の今、同胞団出身の著名ウラマー代表格であるカラダーウィーの名声は、エジプトでは地に落ちたと言っても過言ではありません。

かつてこのブログでもカラダーウィーについては何度も取り上げてきましたが、もはや彼はエジプトの地を踏むことすらできないのでは、と思います。

昨日のローズエルユースフの記事がこちら。

DSCN1107.jpg

内戦の導師カラダーウィーが、未だにエジプトに毒をまき散らしている、という記事です。カラダーウィーがファトワーにおいて、エジプト軍に対する武力蜂起や、そのためにアラブ諸国の(軍事)介入を呼びかけていることをもって、「毒をまき散らしている」としています。

カラダーウィーは、シリアに対する軍事介入を呼びかけていることでも知られていますが、ヌール党報道官のシェリーフ・ターハも、こうしたファトワーについて、「カラダーウィーは宗教を政治利用している」と批判しているとのこと。

いやいや、ヌール党の人に言われたくはない・・・という思いもありますが、エジプトの宗教諸派にもカラダーウィーは見捨てられてしまったというひとつの証左なわけで。

当然、アズハルも彼を大批判しており、カラダーウィーは「エジプト人を殺人と暴力へと扇動している容疑者」と公式声明で称しています。

こちらは昨日のワタンの記事。

DSCN1108.jpg

サラフィー主義ウラマーの代表格であるヤーセル・ブルハーミー(ダアワサラフィーヤの指導者)は、カラダーウィーを「嘘つき」と呼び、彼が長をつとめる国際ムスリム・ウラマー連盟に、「嘘をついたことに対する謝罪」を求めています。

ブルハーミーによると、カラダーウィーは、「エジプトでは平和的デモ隊の人々を殺害してもよいというファトワーを出した導師たちがいる」と記したそうで、「そんな導師は1人もいない!!おい、おまえは嘘をつくことを硬く禁じている預言者のお言葉を知らないのか?!」とお怒りの様子。「エジプトの宗教者は皆、流血の事態を避けるようにと訴え続けてきたではないか!」と言っていますが、まあ、確かにその通りでした。

いやあ。。。同胞団政権時、一度はアズハル・モスクで凱旋の説教を行ったカラダーウィーですが・・・時代は変わるものです。。。

09

02

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退避の決意と帰還

二週間ほど、ロンドンにて退避生活を送り、一昨日の深夜カイロに戻ってきました。

在カイロ日本人の特に女性と子どもの多くは、既に日本に退避している人が多くいたのですが、私が一時退避を決意したのは8月16日のことでした。

軍が座り込みを続ける同胞団員たちの強制排除を実行したのが、14日。

早朝に強制排除が始まったため、起床、そのまま仕事。

一段落ついた時点で、大急ぎで食糧の買い出しに向かいました。状況が悪化すると外出できなくなるので、できるときに最大限の備えをしておく必要があるためです。

そうです、この時点ではまだ、私はカイロに留まるつもりでいました。

14日には、一ヶ月間の非常事態令と19時から6時までの夜間外出禁止令が発布され、15日にも暴力の嵐が吹き荒れ、それがピークに達したのが16日。

この日は金曜日だったため、もともと治安状態が更に悪化することが予想できたので、私は朝早く娘を連れて歩いてプールに行きました。

呑気に思われる方もいるかもしれませんが、買い物と同様に、運動も、できるときに素早く済ませておかないと、次はいつできるかわからないのが今のカイロの状況なのです。幼稚園も閉鎖され、家に閉じこもっていることしかできない娘を外で運動させてあげることは、私にとって重要な仕事でした。

数時間泳ぎ、金曜の集団礼拝が始まる12時すぎに帰宅。

それからまもなくして、パンパンパンパン!と銃声が聞こえ始めました。

隣にいた助手が、「15Mayの橋の上から、26Julyに向かって、銃を撃っている人たちがいるので、絶対に外出しないで下さい」と知らせてきました。

26Julyというのは、ザマレクの中心を東西に走る主要道路で、15Mayというのはその上に平行してある高架橋のことです。

うちからすぐの場所での銃撃戦。

これが退避を決意した主たる原因です。

翌朝の便で、娘と2人でロンドンへ。

翌朝の新聞は、こんな記事でいっぱいでした。

うちの方向に向かって銃撃をしていた同胞団員3人が逮捕されたという記事がこちら。

DSCN0679.jpg

テロはもうたくさん!!という記事。

DSCN0681.jpg

普段はあきれるほど楽天的で、のーんびりしているエジプト人達が、血走った目をして街中で殺し合いをし、あちこちに死体が放置されている・・・この状況に、さすがの私も絶望し、17日にカイロを離れる時には、もう二度とエジプトに戻れないかもしれない、とすら思っていました・・・

が、先日無事に戻ってきました。

الحمد لله

一昨日から夜間外出禁止令は23時から6時までに短縮されましたが、空港を出たのは既に23時過ぎ。

カイロ市内のあちこちで軍によって道路が封鎖されており、ある時には引き返すよう命じた軍人さんに運転手が「通してほしい」と食い下がると、「我々は現在、戦争状態にある。そうした特例は認められない。」とビシっと言われました。

エジプトは今でも、全土を挙げて「テロとの戦い」を行っていると宣言しているのですが、この軍人さんの一言でそのことを実感させられました。

その後も迷路のように行き止まっては戻るを繰り返し、どうにか自宅にまでたどり着きました。

途中で検問にあったのは一カ所のみ、その時も、航空券を見せて事情を説明し、車内をひととおりチェックしただけで通してもらえました。

その時に検問を行っていた軍人さんが、非常に紳士的な対応をしてくれて、あぁこういう人たちが命をはってエジプトの治安を守ってくれてるんだなぁ・・・と、なんだかぐっときてしまいました。

あぁ〜やっぱりエジプトだなぁと感じたのは、外出禁止令の時間帯でも、おじさんたちがカフェに集ってシーシャすっていたり、外で肉を焼いていたり、子どもがサッカーをしていたり・・・と外出している人がちらほらいるのを見た時です。

道路を封鎖している軍人さん達の前で露天を開いているおじさんとか、なんだか微笑ましいというか・・・(笑)。

夜間外出禁止令は、当初は19時からだったのが、21時から、23時からと段階的に緩和されてきました。

あと10日ほどで、1ヶ月の期限が来ますが、その後はどうなるのか、まだわかりません。

金曜日は今でも19時から外出禁止ですし、未だにカイロ市内でも銃撃戦やら爆弾爆発やらが発生していますから、おそらく非常事態令はまだしばらく適用したままになるのではないかな、と思います。

役所や銀行、商店の営業は、通常通りに戻ってきました。

学校に関しても、多くのインターナショナルスクールは15日、公立の学校も22日に始業するようです。

さあエジプト。

混乱の極みに至っても内戦状態にはならずに乗り切った感がありますが、まだまだ正念場は続きます。

それでもおかげさまで、私たちもまだここで暮らしていくことができそうです。

プロフィール

 飯山陽

Author: 飯山陽
イスラム思想研究者。専門はイスラム法。都内の大学でイスラム思想を教えていましたが、現在はエジプトのカイロ在住、メディアの仕事をしています。
イスラム国に関しては別ブログ「どこまでもイスラム国」をご覧ください。

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