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taku

ブログの更新、ありがとうございます。いつも拝読させていただいております。
「表現の自由」は、宗教的権威からの解放によって市民が勝ち得た権利であるというキリスト圏では一般的な認識は、在住経験のある日本人には既知ではないかと思っていました。
日本の報道機関には現地駐在のスタッフ等もいるはずなのに、なぜ先生のようなより実態に近い認識が報道で語られないのか不思議に思います。
やはりムスリムに対する認識が欠落しているせいなのでしょうか?

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シャルリーエブドはまた預言者をバカにしたのか?

1月7日にフランスの風刺新聞シャルリーエブドの本社が襲撃された事件から、今日で1週間です。

そして今日、シャルリーエブドの最新号が発行されたのですが、それに先立って昨日、その表紙が公開されました。

Charlie Hebdoという紙名の下には"Tout est pardonné"と書かれ、典型的なアラブのおじさんが"Je suis Charlie"と書かれた看板を掲げた姿で描かれています。

これにエジプトのファトワー庁が早速反応し、声明文を発表しました。

ファトワー庁

概要は、

シャルリーエブド最新号は、預言者(S)をこよなく愛し尊敬する、世界中の15億人のイスラム教徒を不当に挑発するものであり、また両者の側にいる過激派に暴力の応酬の機会を与えることになるから、フランス政府、各政党、組織に対し、これに抗議するようファトワー庁は要請した

というもの。

Tout est pardonnéについては、私は初見でてっきり、「すべて(の人や罪)は赦されている」の意味だと理解したのですが、ファトワー庁もアラブメディアも、これは「(イスラムの預言者ムハンマドを風刺することを含めた)すべてが許可されている」という意味だと理解し、「あんな事件があったのに、まだ懲りずに俺たちの預言者を侮辱するつもりか?!」とご立腹の様子。

日本のメディアもこの一文は「すべては許される」、という意味だと当たり前のように理解し、アラブメディアと同様に、また預言者をバカにしている、暴力の連鎖が懸念されるといった趣旨の報道をしています。

記者会見で表紙を描いた風刺画家のルス氏は、「悩みに悩んでこの題をつけた」と述べ、このアラブのおじさんはやっぱり預言者ムハンマドで、でも涙を流している点が重要なのだ、と言っています。

預言者ムハンマドをまた描いたのは申し訳ないが、でもやはり、表現の自由に制限があってはならないのだ、とも述べています。

シャルリーエブド最新号に関わらず、絵やテキストというものは全て、生み出された瞬間から作者の手を離れ、その意味は読み手の解釈に委ねられてしまうものです。

私がこの会見を聞いて理解したのは、Tout est pardonnéはやっぱり、「すべて(の人や罪)は赦されている」という意味で、最新号で再度預言者を描いた行為は多くの人を傷つけるが「赦される」し、これからのシャルリーエブドがいかに多くの摩擦を引き起こそうともそれは「赦される」という彼らの信念を意味しているということで、もしかしたらそこには、シャルリーエブドを襲撃した犯人たちも「赦される」べきなのではないか、という含意すらあるのかもしれない、とも思いました。

単純に、我々は「すべての行為が許可されている」と考えているので、今回もまた預言者書いちゃいました、というような薄っぺらい話ではないはずです。

涙を流す預言者ムハンマドがJe suis Charlieの看板を掲げているのは、預言者も先日のフランスの大規模デモの趣旨に賛同し、表現の自由とテロへの抗議を示したいはずだ、とももちろん解釈できますが、「シャルリーエブドが攻撃された時、私も同様に攻撃されたのだ」という意味ともとれますし、「私のせいで多くの人が死んだ」ということを悲しんでいるとも理解できます。

かつてシャルリーエブドは、預言者ムハンマドが「バカに愛されて辛い。。。」とつぶやく風刺画を掲載されたことでも知られていますし。

もちろん、私がこれをどのように解釈しようと、ムスリム(と日本人)のほとんどはファトワー庁と同様に、「また預言者がバカにされた!」とのみ理解している点は重要です。

既出のルス氏は、会見でユーモアの重要性についても述べていましたが、風刺はアラブ人にとってはسخرية(侮辱、バカにすること)にすぎず、そこに知性やユーモアを読み取るという文化は基本的には存在しません。

私が思うのは、今回の事件から学び取るべきことのひとつは、ムスリムが預言者ムハンマドの尊厳を命がけで守らなければならないと信じているのと同様に、フランス人(を始めとする欧米人)は表現の自由を命がけで守らなければならないと信じている、ということです。

日本人の多くは、「自由って言っても節度があるでしょ?」とか、「そこにあるってわかってる地雷をわざわざ踏むことはないでしょ?」と思うでしょうし、私も基本的にはそう思いますが、それが世界標準の反応ではないし、争いを避けることが最良の道であると全人類が合意しているわけでもない、ということを理解することは、大切だと思います。
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プロフィール

 飯山陽

Author: 飯山陽
イスラム思想研究者。専門はイスラム法。都内の大学でイスラム思想を教えていましたが、現在はエジプトのカイロ在住、メディアの仕事をしています。
イスラム国に関しては別ブログ「どこまでもイスラム国」をご覧ください。

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