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ガイドなしでも完璧な考古学博物館見学マニュアル:一階編

エジプト考古学博物館は、エジプト観光には絶対に欠くことのできない場所です。

カイロにお客さんが来た際には、どんなに多忙な訪問であったとしても、ピラミッドと考古学博物館だけはお連れすることにしています。しかし、この博物館。世界的なお宝満載の超重要スポットであるにもかかわらず、お宝の展示方法は極めて適当であり、館内には見学順序も示していなければ、展示物の説明もほぼ皆無です。

つまり、お客を案内したくても、実はどう案内すればいいのか全然わからない、というのが、私の悩みのひとつでした。ところが先日ついに、数少ないカイロの友人のひとりである某考古学オタク氏に博物館ガイドをしていただけるという、千載一遇の機会に恵まれました。

館内は写真撮影禁止ですので、以下、文字だけでひたすら見学マニュアルを記します。基本的には備忘録ですが、ガイドをやとわず、短時間で、見るべきものを見たい方にはきっと便利だと思います。

1)敷地内に入ると、建物の正面玄関前に池があり、そこにハスとパピルスが植えられています。ハスは上エジプト、パピルスは下エジプトを象徴する植物であり、両モチーフは館内の展示物中でも繰り返し用いられています。エジプトはナイル川を基準にものを考えるので、ややこしいですが、上エジプトというのはナイル川上流(つまり南部)を、下エジプトというのはナイル川下流(北部)を指します。

2)館内に入ってそのまま10歩くらい前進すると、ガラスケースに入った平べったい石が展示されています。これが、ナルメルのパレットです。ナルメルというのは今から5000年以上前にエジプトの第一王朝をつくったとされる王様で、パレットの表と裏にはナルメルが南北エジプトを統一したことをうかがわせるレリーフが記されています。ここから古代エジプトの歴史は始まるので、これを一番最初に見るのが肝心です。またなぜパレットなのかというと、化粧に使う顔料を混ぜ合わせるという用途があったためですが、実際に化粧パレットとして使われていたかどうかはよくわからないようです。

3)ナルメルのパレットから少し入口方向に戻り、入口からみて右側に、帽子が半分欠けた王様の頭像があります。このコンドーム状(笑)の帽子は白冠といわれ、上エジプトを象徴するそうです。ナルメルのパレットにも、コンドームをかぶったナルメルの姿が確認されます。ナルメルのパレットやこの帽子半分像には、頭のない死体がずらずらと描かれており、戦乱の世であったことがあらわされているとのことです。

4)入口からみて左手すぐに、白っぽくて目がくぼんでいる王の座像があります。これが世界最古のピラミッドとされるサッカラの階段ピラミッドをつくったジェセル王です。今から2700年ほど前の王であり、階段状といういまいちイケてない形状ではあっても、ピラミッドを建造できたということは、それだけの大規模公共工事を行う力を王が持っていたことの証です。ジェセル王が支配していたのは、南北エジプトあわせて400万人程度であったとされています。

5)ジェセルを通過して道なりに右折し、少し前進すると、右側に32という部屋があります。ジェセルから32の部屋までの道には、パンやビールを作る人々の像や、二宮金次郎のような像があります。人々の生活の様子をそのままうかがい知ることのできるこうした像は、考古学的に非常に価値があるそうです。32の部屋へ入り、直進して右奥に入ると左の奥に小さなガラスケースに入った極小(7.5センチ)のファラオ像があります。これが世界最大のピラミッドを建造したクフ王の現存する唯一の彫像です。

6)32の部屋から一度出て、左隣の37という部屋に入ると、正面にカフラー王の像があります。ギザの三大ピラミッドの中央にあるピラミッドの建造者とされ、ギザのスフィンクスはこのカフラー王のピラミッドに付属するものとされています。

7)37の部屋には他にも左側に西郷さんというか行基というか、そんな風情のカーアペル像があります。これは現存する最古の木製立像とされています。4500年も前に作られた木像が残っているということは、それだけエジプトが超乾燥地帯であることの証です。発見した人の住んでいる村の村長さんに顔が似ていたので、村長さんの像なんて言われているそうです。また右側には書記の像といわれる、おかっぱ頭のおじさんがあぐらを組んでいる像があります。古代において文字を使える人というのはごく限られていたため、書記というのはかなりの特権階級であったそうです。

8)37の部屋から出て、クフのいる32の部屋にもう一度もどります。正面には色彩の美しい夫婦の像があり、左側には夫婦と子ども二人の家族四人の像があります。家族像の父親はおそらく小人症だったのではないかといわれ、それを支える妻の姿がなんともけなげです。また二人の子どもはいずれも口に指をくわえていますが、古代エジプトでは子どもの像は概ね指くわえスタイルで描かれるそうです。

9)32の部屋を出て、右方向に進むと、右への曲がり角直前の中央に頭の上半分が欠けた像があります。これが古代エジプト唯一の女性ファラオとされるハトシェプストの像です。通常ファラオは男性であったため、彼女は女性であったにもかかわらず、彼女の像にはヒゲがとりつけられています。

10)道なりに右折して前進すると、左側に3という部屋があります。ここがアクテンアテン(イクナートン)の部屋です。2010年に発表された遺伝子調査で、ツタンカーメンの父親であるとされた王です。彼は、多神教から一神教への宗教改革を行ったとされ、また新しい美術様式を採用し、それまでのマス目にそってルール通りに描かれた像や絵画は写実的な描写へと変化しました。写実的というわりには、アクテンアテンの像は宇宙人のような姿で描かれていますが、これは病気だったとか遺伝子異常とか、両性具有のように見せるためだとか諸説あるようです。当時のエジプトでは各地で様々な神が信仰されており、アメン・ラーという太陽神がそれらを束ねるとされ、アメン神殿の神官たちが絶大な権力を有していました。アクテンアテンは神官たちから権力を取り戻すべく、政治的意図をもって宗教改革を行ったともいわれます。レリーフに描かれている丸い太陽とそこから光が降り注ぐような図が、唯一神アテンを示します。アテンを崇拝できるのはアクテンアテンとその家族のみで、その他の者たちはアクテンアテンを崇拝することを通して神を崇拝せよ、という形式をとったそうです。またアクテンアテンは、美人で知られるネフェルティティの旦那さんでもあります。3の部屋の左奥には、製作途中のネフェルティティの像があります。完成品のネフェルティティはベルリンのエジプト博物館にあり、エジプト人が繰り返しかえせ!と訴えています。またネフェルティティが美人だったからかどうかはわかりませんが、アクテンアテンは家族思いであったともされ、子どもとちゅーをするファラオの像なども残されています。

11)3の部屋からでて左に進むと突き当りに指をくわえ、後ろに大きな鳥がどーんとのっかっている像があります。これが王のなかの王といわれるラムセス2世の子ども時代の像です。後ろの鳥はホルス神で、後ろからラムセス2世を護っている様子を表しているようです。なおホルスというのは天空と太陽の神とされ、エジプト航空のキャラクターがこのホルスです。

12)ラムセス2世の後ろの階段を上って、二階へと進みます

ガイドなしでも完璧な考古学博物館見学マニュアル:二階編へと続く
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プロフィール

 飯山陽

Author: 飯山陽
イスラム思想研究者。専門はイスラム法。都内の大学でイスラム思想を教えていましたが、現在はエジプトのカイロ在住、メディアの仕事をしています。
イスラム国に関しては別ブログ「どこまでもイスラム国」をご覧ください。

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