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イスラミック・カイロ案内(2)

イスラミック・カイロ案内(1)に続いて、(2)です。

アクマル・モスクの少し先の右側には、スハイミー邸があります。

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オスマン朝時代の1648年に建設された豪商の邸宅です。見学には確か50ポンドくらいかかります。

もともとは別の人の家だったものを、スハイミーさんが買い取って内装を充実させたそうです。内部は広くて、迷路のような感じです。見取り図もおいてあるのですが、見学するには全く役に立ちません・・・。部屋はこんな感じです。

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(1)で紹介したザイナブ・ハートゥーンの家もそうなのですが、こうしたいわゆるアラブの中庭式邸宅は、モロッコの旧市街などに行くと普通に人が住んでいる状態でたくさん存在しているのですが、エジプトに関してはこうして史跡として保存されている建物の他には、もう存在していないようです。

スハイミー邸の正面には、スレイマン・アガーのサビールがあります。ここも見学するには10ポンドかかります。ここもまあ、ただのサビールといってしまえばそれで終わりなのですが、地下の貯水槽を見ることが出来るので、一応一見の価値はあります。

これが外観。

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これが貯水槽。

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貯水槽には水汲み人がせっせと水を運んできていたようなのですが、当時は現在ブールサイード通りになっているところが運河になっていたので、ムイッズ通りから水を汲みに行くのはそんなに大変ではなかったようです。

サビールをでて直進すると、右側にハーキム・モスクがあります。

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変人として知られるかの有名なファーティマ朝カリフのハーキムの名のついたモスクで、スンナ派王朝時代は捕虜を閉じ込めておく牢屋なんかに使われていたそうですが、1980年にインドに本拠地のあるイスマーイール派の団体がお金をぼーんと出してゴージャスに修復した結果、今のような感じになったようです。

ハーキムといえば、アリーの宿敵ムアーウィヤがモロヘイヤ好きだったので、エジ人にモロヘイヤを食べることを禁じたとか、女性が外出できなくなるように女性用の靴を売ることを禁じたとか、ユダヤ人やキリスト教徒をかなり差別したとか、突然犬を殺し始めたとか、突然猫を殺し始めたとか、とにかく奇行で知られています。

私は修士論文までは異教徒に対するイスラム法の適用について研究していたのですが、そうするとこのハーキムという人は結構重要な人物なわけで、どうして重要かというと、イスラム法上の異教徒に対する規定をきっちり適用した為政者というのは実は結構少なくって、みんな案外適当だった訳ですが、その稀な例の一人がこのハーキムなわけです。彼はユダヤ教徒とキリスト教徒からきっちりジズヤ(人頭税)を徴収し、ウマル憲章にあるとおりの服装の区別(ギヤール)を徹底させるため、ズンナールというベルトをさせ、頭には黒いターバンをまかせ、片足には赤、もう片足には黒の靴を履かせ、キリスト教徒には鉄の十字架をぶらさげさせ・・・といったあれこれを強制したとされています。

ハーキム・モスクも無料で見学できます。

ハーキム・モスクのすぐ先がフトゥーフ門で、ここがムイッズ通りの終点です。フトゥーフ門を出て右側いき、ファーティマ朝の城壁沿いに進むと、今度はナスル門があります。この城壁の外側はフセイニーヤといわれる地区で、かつては墓地であり、現在も墓地が多くのこっています。イブン・ハルドゥーンもこのどこかにうめられているらしいです。

ナスル門からまた城壁の中に入って、アズハルの方に戻ることもできますが、この道は現在下水道工事真っ最中なので、あまりおすすめできません。

それよりは、ここから車でイスラミック・カイロの第二の見所である、サラーフッディーンの城塞に行くのがよいと思われます。

この城塞は、入るのに50ポンドかかりますが、プレスカードがあると無料です。こことかピラミッドは、プレスカードがあると無料なのに、なぜかスハイミー邸は半額だったり、サビールは定額だったり、いったいどういう制度になっているのか、未だに全然わかりません。。。

城塞の中には、カラーウーンの息子のナーセル・ムハンマドのモスクがあります。

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エジプト人たちが楽しそうに写真を撮っています。彼らはキブラやミンバルの前で写真を撮るのが好きです。

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サラディンの城塞で一番の見所は、ムハンマド・アリーモスクです。

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現在修理中のこの時計台についている時計は、オベリスクと引き換え(?)にフランスから送られたものだとか?

ここは、エジプトのモスクの中では、かなり荘厳な方です。トルコのブルーモスクやアヤソフィアなんかを知らない人がみたら、そこそこ感動できる・・・かもしれません。

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この城塞の中には、戦争博物館というのがあって、ここが結構面白いです。というか、中には私も入ったことがないのですが、外だけでも楽しいです。

とりあえず、いろんな乗り物がおいてあります。

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なんか、えっらいちゃっちいのですが、エジプト人達はみんな大喜びで写真とか撮っています。

ものすごくおおざっぱな感じの、「いろんな時代のエジプト軍」の紹介もあります。

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とにかくさ、エジ軍はいつの時代も強かったんだよね!!と言いたい感じが、ひしひしと伝わってきます。

あと、いろんな時代のエジプトの英雄の胸像が飾られているのですが、サラディンがいたり・・・

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バイバルスがいたり・・・

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サラディンとかバイバルスって、こういう顔だったんだ?!と初めて知ったのでした・・・(笑)

今回、改めてイスラミック・カイロの史跡を訪れてみて思ったのは、

(1)やっぱり、エジプト、汚いなあ・・・
(2)やっぱりエジプトの史跡、地味だなあ・・・

ということです。歴史が好きな人なら結構楽しいと思うのですが、普通の人が来て「わーーーっ!!」と感動するほど美しいものなんかは、たぶん皆無です・・・。

当たり前のように、どこもかしこもゴミだらけですし・・・。

やっぱりカイロ観光は、ピラミッドに始まり、ツタンカーメン黄金マスクに終わるに限るんですかね・・・。

ムルスィー大統領、「全権掌握っ!!」とか喜んで浮かれてないで、早く本当の意味での「善行」、してくれないかなあ・・・。

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イスラミック・カイロ案内(1)

最近、いわゆるイスラミックカイロを散策する機会が二度あったので、見所をまとめておこうと思います。

カイロはファーティマ朝によってつくられた街なのですが、同朝がモスクと宮殿を建設したエリア一帯が街の中心地として栄えました。このエリアと、アイユーブ朝のサラーフッディーンが城塞を築いた高台のエリアをまとめて、ガイドブックなどはイスラミック・カイロと呼んでいるようです。

まあ平たくいえば、中世から近世にかけてのイスラム諸王朝時代の建築物が残っている史跡エリア、というわけです。

大概の場合は、まずアズハル・モスクを見学します。こちらは、無料で見学できますが、女性は髪を何かで覆っておく必要があります。また、靴をおじさんにあずけて見学するので、おじさんに多少のチップをあげたほうがよいです。私は、こういうところでケチるべきではないという主義なので・・・。

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アズハル・モスクはファーティマ朝期の971年に建設されたモスクなので、もともとイスマーイール派のモスクだったわけですが、後のスンナ派王朝もここを大切に保護、その後アズハルのマドラサはスンナ派の学問の中心地として発達しました。アズハルは1960年代からは国立の学術機関になっています。ここの総長はスンナ派の最高権威、という説明をしているのを時々見ますが、まあ、そう思っている人もいますが、別にみんながそう思っているわけではありません。

アズハル・モスクの外にでて、裏側に回ると、バドルッディーン・アルアイニーというハナフィー派の学者の名のついたマドラサがあります。

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アイニーは15世紀前半に、ブルジーマムルークのスルタンであるバルクークやバイバルスにつかえた学者です。先輩がアイニーの研究をしていたので、名前だけはなじみ深いです。

ここも無料で入れます。管理をしているおじさんが外でふらふらしているので、許可をもらってみせてもらうことができます。ここにはアイニーのお墓も併設されているのですが、なぜかその右隣にもう一つ墓があって、そちらは、イブン・ハジャル・アルアスカラーニーの墓だとのことです。彼はシーア派の著名な法学者で、1448年だか49年だかに亡くなっているので、確かに同時代人ではあるのですが、なんか不思議です。

その向かい側には、ザイナブ・ハートゥーンの自宅というのがあります。ここは見学するのに15ポンドかかります。1484年に建設されたそうで、中庭のあるいわゆるアラブの邸宅です。

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上にのぼると、アイニーとアスカラーニーの墓のクッバ(ドーム)がみえます。

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また、勉強しているアズハル学生の姿を見ることも出来ます。

ザイナブさんの家からアズハルにもどって、少し西に進むと、左側にグーリーの隊商宿とマドラサがあります。グーリーはブルジーマムルークの最後のほうのスルタンです。

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一応立派な史跡のはずなのですが、下のほうはこんなことになっちゃってます・・・。残念・・・。

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今度はアズハル通りをわたって、ムイッズ通りを北に進みます。左側にアシュラフ・バルスバイのマドラサがあり、右側にはバイバルスの名のついたマドラサが一部残っています。

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次に右側にあらわれるのが、ホスローパシャのサビール&クッターブです。

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サビールというのは水飲み場、クッターブというのはコーランを教える学校で、今で言うと小学校のようなものです。

その正面にあるのが、カラーウーンの廟、モスク、病院などの複合施設です。こちらが外観。

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ここは有料で、ここで100ポンド出して共通チケットというのを買うと、バルクーク・モスクやハンマームなどにも入ることが出来ます。

こちらが廟。なかなか荘厳。

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こちらが病院跡。この建物の左隣は現在も眼科の病院があって、歴史を感じさせます。

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こちらがモスク。

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カラーウーン・コンプレックスの隣には、バルクークのモスクとマドラサがあります。

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その隣には、ブルジーマムルークのスルタンであるイーナールの名のついたハンマームがあります。

その少し先に道が2つに分かれている場所があり、その間にカトフダーのサビール&クッターブがあります。

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このクッターブは孤児のためのものだったようです。今はここはお土産やさんのようになっているので、店番のおじさんに言えば、上にのぼることができます。上からムイッズ通りをながめると、こんな感じです。

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サビール&クッターブの左側の道に進むと、今度は右側にアクマル・モスクが現れます。

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こちらは、カイロに残っている唯一のファーティマ朝期のモスクだそうで、小さいですがなかなかよいところです。ここも現役のモスクなので、おじさんに許可をとれば無料で見学できます。

ミンバルちっちゃい?!

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イスラミック・カイロ案内(2)へ続く

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ガイドなしでも完璧な考古学博物館見学マニュアル:二階編

ガイドなしでも完璧な考古学博物館見学マニュアル:一階編に続いて、二階編です。

エジプト考古学博物館二階は、1922年にカーターによって発見されたツタンカーメンのお宝が満載です。

1)ラムセス二世像の後ろの階段をのぼると、前方と右手二方向に、ツタンカーメンのお宝コーナーがあります。まず右側の壁をみると、ツタンカーメンの墓の発見された当時の様子を図示したものがあります。それを見ると、ツタンカーメンのミイラが、四重の厨子と三重の人形棺のなかに、黄金のマスクをかぶった状態でおさめられていた様子がよくわかります。ちなみにミイラ自体は王家の谷にありますが、副葬品はほとんどこの考古学博物館にあります。

2)そのまま右手にすすむと、死者の世界の神でミイラ作りの神ともされる黒い犬の姿をしたアヌビス神や、ミイラから取り出した内臓をいれるカノポス容器やそれをしまう黄金の櫃などが展示されています。そもそもミイラというのは、死後の世界で復活したときに、体がちゃんとしていないと困るから、という理由で作られたそうなのですが、復活したときには内臓もちゃんとないと困るので、防腐処理をほどこして内臓も大切にしまったようです。

3)正面には黄金の厨子がおかれています。その右側の3という部屋に、ツタンカーメンの黄金マスクがあります。純金製の黄金マスクにはハゲタカとコブラがついていますが、ハゲタカは上エジプト、コブラは下エジプトの象徴とされます。マスクの後方には死者の書がほられており、死後の世界でどううまくやるべきかについてのマニュアルのようなものが記されているそうです。3の部屋にはほかにも、黄金マスクと同じく純金製の人形棺や、装飾品などが展示されています。

4)3の部屋からでて左に戻ると、右側の壁に怪しげな三角形の布が飾られています。これはツタンカーメンのふんどしといわれているものです。あま布で作られており、よくみると、絹のようなきめ細かさであることが確認できます。やはり王の装着するものは、下着までもハイクオリティーであったということのようです。

5)ふんどしから直進した左側(階段あがってすぐ左)には、ガラスケースにおさめられたドライフラワーが展示されています。これは矢車草で、ツタンカーメンが亡くなった際、王妃が手向けたものとされています。死者に花を手向けるという現代人に通じる行為が、彼らをぐっと近いものにかんじさせます。

6)矢車草から左に進む(階段から直進)と、まだまだツタンカーメンの副葬品がたくさん並べられています。個人的にはライオンが舌を出し右手を出して「はーい」としているような像が好きです。この像はしっぽもまたかわいらしいので、是非後ろからも見て下さい。この像は、別の人から、ハワード・カーターが盗んで持って帰りたい衝動にかられたと言われていると聞いたのですが、真相は定かではありません・・・。

7)直進すると、ツタンカーメンの黄金の玉座があります。王妃がツタンカーメンに香油を塗っているシーンが描かれており、夫婦が一対のサンダルを一足ずつはいているなど、仲睦まじい様子がなんとなくステキです。上部には、お父さんのアクテンアテンが信仰したアテン神(太陽とそこから光がふりそそいでいるような図)が描かれています。

8)さらに直進すると、階段の手前にツタンカーメンの等身大の立像があります。黒い像で、これはカーという守護霊のやどる像とされているそうです。

9)ツタンカーメンのお宝を後にしてからすぐ左手に、ミイラ室の入口があります。ここは別料金です。ラムセス2世のミイラなどが展示されていますが、今回は省略しました。

10)ミイラ室から直進すると左手の奥に53の部屋があります。ここには動物のミイラが展示されています。巨大なワニや魚(ナイルパーチ)、牛や犬、猿など、あらゆる生き物がミイラにされています。古代エジプト人はあらゆる生き物に神が宿っていると考えていたそうで、ペットの犬や猿をミイラにしたのは、それだけペットを大切にしていたことの証だそうです。猿のミイラは実に、リアルです・・・。

11)ミイラ室から出て左手の階段で一階に下り、出口方向に向かいます。

文字だけの説明でしたが、機会があれば是非ご自身の眼でご覧になってみてください。考古学オタクの友人曰く、日本で一個でてきたら大騒ぎが起こってすぐ国宝になるような遺物が、ごろごろしているそうです。

なおエジプトでは現在、ギザのピラミッドに隣接する「大エジプト博物館」なるものが建設中で、2012年3月に着工式が行われたのですが、これが完成すれば考古学博物館のお宝はすべてこちらに移されるそうです。その暁には、展示もきちんとした形がとられ、ガイドなしでも問題なく見学できるようになる・・・ことを祈りたいと思います。

エジプト人に聞くと、展示がちゃんとしていて、説明もちゃんと書かれていたら、ガイドの仕事がなくなっちゃうじゃーん?!なんて言ったりするのですが、どうなることやら。

なお、大エジプト博物館の完成は(一応)2015年とされています。あと3年、本当に出来上がるのかなあ・・・。



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ガイドなしでも完璧な考古学博物館見学マニュアル:一階編

エジプト考古学博物館は、エジプト観光には絶対に欠くことのできない場所です。

カイロにお客さんが来た際には、どんなに多忙な訪問であったとしても、ピラミッドと考古学博物館だけはお連れすることにしています。しかし、この博物館。世界的なお宝満載の超重要スポットであるにもかかわらず、お宝の展示方法は極めて適当であり、館内には見学順序も示していなければ、展示物の説明もほぼ皆無です。

つまり、お客を案内したくても、実はどう案内すればいいのか全然わからない、というのが、私の悩みのひとつでした。ところが先日ついに、数少ないカイロの友人のひとりである某考古学オタク氏に博物館ガイドをしていただけるという、千載一遇の機会に恵まれました。

館内は写真撮影禁止ですので、以下、文字だけでひたすら見学マニュアルを記します。基本的には備忘録ですが、ガイドをやとわず、短時間で、見るべきものを見たい方にはきっと便利だと思います。

1)敷地内に入ると、建物の正面玄関前に池があり、そこにハスとパピルスが植えられています。ハスは上エジプト、パピルスは下エジプトを象徴する植物であり、両モチーフは館内の展示物中でも繰り返し用いられています。エジプトはナイル川を基準にものを考えるので、ややこしいですが、上エジプトというのはナイル川上流(つまり南部)を、下エジプトというのはナイル川下流(北部)を指します。

2)館内に入ってそのまま10歩くらい前進すると、ガラスケースに入った平べったい石が展示されています。これが、ナルメルのパレットです。ナルメルというのは今から5000年以上前にエジプトの第一王朝をつくったとされる王様で、パレットの表と裏にはナルメルが南北エジプトを統一したことをうかがわせるレリーフが記されています。ここから古代エジプトの歴史は始まるので、これを一番最初に見るのが肝心です。またなぜパレットなのかというと、化粧に使う顔料を混ぜ合わせるという用途があったためですが、実際に化粧パレットとして使われていたかどうかはよくわからないようです。

3)ナルメルのパレットから少し入口方向に戻り、入口からみて右側に、帽子が半分欠けた王様の頭像があります。このコンドーム状(笑)の帽子は白冠といわれ、上エジプトを象徴するそうです。ナルメルのパレットにも、コンドームをかぶったナルメルの姿が確認されます。ナルメルのパレットやこの帽子半分像には、頭のない死体がずらずらと描かれており、戦乱の世であったことがあらわされているとのことです。

4)入口からみて左手すぐに、白っぽくて目がくぼんでいる王の座像があります。これが世界最古のピラミッドとされるサッカラの階段ピラミッドをつくったジェセル王です。今から2700年ほど前の王であり、階段状といういまいちイケてない形状ではあっても、ピラミッドを建造できたということは、それだけの大規模公共工事を行う力を王が持っていたことの証です。ジェセル王が支配していたのは、南北エジプトあわせて400万人程度であったとされています。

5)ジェセルを通過して道なりに右折し、少し前進すると、右側に32という部屋があります。ジェセルから32の部屋までの道には、パンやビールを作る人々の像や、二宮金次郎のような像があります。人々の生活の様子をそのままうかがい知ることのできるこうした像は、考古学的に非常に価値があるそうです。32の部屋へ入り、直進して右奥に入ると左の奥に小さなガラスケースに入った極小(7.5センチ)のファラオ像があります。これが世界最大のピラミッドを建造したクフ王の現存する唯一の彫像です。

6)32の部屋から一度出て、左隣の37という部屋に入ると、正面にカフラー王の像があります。ギザの三大ピラミッドの中央にあるピラミッドの建造者とされ、ギザのスフィンクスはこのカフラー王のピラミッドに付属するものとされています。

7)37の部屋には他にも左側に西郷さんというか行基というか、そんな風情のカーアペル像があります。これは現存する最古の木製立像とされています。4500年も前に作られた木像が残っているということは、それだけエジプトが超乾燥地帯であることの証です。発見した人の住んでいる村の村長さんに顔が似ていたので、村長さんの像なんて言われているそうです。また右側には書記の像といわれる、おかっぱ頭のおじさんがあぐらを組んでいる像があります。古代において文字を使える人というのはごく限られていたため、書記というのはかなりの特権階級であったそうです。

8)37の部屋から出て、クフのいる32の部屋にもう一度もどります。正面には色彩の美しい夫婦の像があり、左側には夫婦と子ども二人の家族四人の像があります。家族像の父親はおそらく小人症だったのではないかといわれ、それを支える妻の姿がなんともけなげです。また二人の子どもはいずれも口に指をくわえていますが、古代エジプトでは子どもの像は概ね指くわえスタイルで描かれるそうです。

9)32の部屋を出て、右方向に進むと、右への曲がり角直前の中央に頭の上半分が欠けた像があります。これが古代エジプト唯一の女性ファラオとされるハトシェプストの像です。通常ファラオは男性であったため、彼女は女性であったにもかかわらず、彼女の像にはヒゲがとりつけられています。

10)道なりに右折して前進すると、左側に3という部屋があります。ここがアクテンアテン(イクナートン)の部屋です。2010年に発表された遺伝子調査で、ツタンカーメンの父親であるとされた王です。彼は、多神教から一神教への宗教改革を行ったとされ、また新しい美術様式を採用し、それまでのマス目にそってルール通りに描かれた像や絵画は写実的な描写へと変化しました。写実的というわりには、アクテンアテンの像は宇宙人のような姿で描かれていますが、これは病気だったとか遺伝子異常とか、両性具有のように見せるためだとか諸説あるようです。当時のエジプトでは各地で様々な神が信仰されており、アメン・ラーという太陽神がそれらを束ねるとされ、アメン神殿の神官たちが絶大な権力を有していました。アクテンアテンは神官たちから権力を取り戻すべく、政治的意図をもって宗教改革を行ったともいわれます。レリーフに描かれている丸い太陽とそこから光が降り注ぐような図が、唯一神アテンを示します。アテンを崇拝できるのはアクテンアテンとその家族のみで、その他の者たちはアクテンアテンを崇拝することを通して神を崇拝せよ、という形式をとったそうです。またアクテンアテンは、美人で知られるネフェルティティの旦那さんでもあります。3の部屋の左奥には、製作途中のネフェルティティの像があります。完成品のネフェルティティはベルリンのエジプト博物館にあり、エジプト人が繰り返しかえせ!と訴えています。またネフェルティティが美人だったからかどうかはわかりませんが、アクテンアテンは家族思いであったともされ、子どもとちゅーをするファラオの像なども残されています。

11)3の部屋からでて左に進むと突き当りに指をくわえ、後ろに大きな鳥がどーんとのっかっている像があります。これが王のなかの王といわれるラムセス2世の子ども時代の像です。後ろの鳥はホルス神で、後ろからラムセス2世を護っている様子を表しているようです。なおホルスというのは天空と太陽の神とされ、エジプト航空のキャラクターがこのホルスです。

12)ラムセス2世の後ろの階段を上って、二階へと進みます

ガイドなしでも完璧な考古学博物館見学マニュアル:二階編へと続く

プロフィール

 飯山陽

Author: 飯山陽
イスラム思想研究者。専門はイスラム法。都内の大学でイスラム思想を教えていましたが、現在はエジプトのカイロ在住、メディアの仕事をしています。
イスラム国に関しては別ブログ「どこまでもイスラム国」をご覧ください。

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